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三国志コミュのもし曹丕の禅譲が無かったら?

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曹丕の禅譲についてですが
この禅譲、後の歴史に相当影響を与えた可能性が指摘されてます。
中国の王朝は漢以降は長くても300年程度ですし

その指摘についてですが
「魏武輔漢の故事」、つまり前漢を滅ぼし新を建国した王莽が創造し、曹操・曹丕が完成させた禅譲革命の実行例を行い
(↑については禅譲革命の手順をマニュアル化していたとも言われます)
これに因り実力者達は、「魏武輔漢の故事」を真似る事で禅譲革命を容易に実行出来、更に自己を正当化出来たと言われます。

このように中国で王朝が長続きしないのは上記の事を真似して歴代の中国王朝が衰えた時に
王朝で伸し上ってきた人物が禅譲をしまくったからだと指摘されてますし

ヨーロッパだとフランス・カペー朝系統の王朝やハプスブルク家等、中国の歴代王朝と比べもっと続いた王朝も多いですよね。
(アジアだと朝鮮の李朝が500年、タイも現在のチャクリー朝が旧アユタヤ朝の分家ですからそこから計算すると2011年現在で約760年続いてる計算になります。)

そこで気になったのですが仮に曹丕も司馬炎も漢室に対して禅譲を要求しなかった場合
後の歴史は如何動いたと思いますか?

ありえる可能性としては
漢王朝が南朝で100〜200年ほどシブトク存続していたり
その後に隋を放伐して建国した唐がモンゴルに滅ぼされるまで存続したりとかですかね?

コメント(16)

曹丕の禅譲じゃなくて、曹丕への禅譲なのでは?
後漢〜三国時代以外の中国史をがほとんど分からないんで見当もつかないですね(^_^;)

とりあえず後漢王朝が滅んで劉備が悲しむ事は無くなりますね(⌒〜⌒)

 その命題を満たすためには、まず大前提として曹操の魏公・魏王補任があってはならないことになると思いますし、そのためには曹操の開府もあってはならず、そのためには漢王朝が董卓によって機能不全に陥ることがあってはならないので、そもそも有り得ない仮定じゃないか、という気が正直しますね。
 黄巾の乱、董卓の暴政を経て、すでに後漢王朝は王朝としての力と存在意義を喪失したも同然でしたから、曹操の開府によって、名目だけでもその命脈を二十年長らえることができた、というのが正しいように思います。形式はさておき、名目の上でも権力の曹氏政権への移譲が行われたのは、歴史の必然だったでしょう。

 もし、皇帝位の禅譲が行われなかったとしても、例えば春秋五覇のように、皇帝の代理として天下を主宰するナニモノかの位は創設されたでしょうし、そうすれば日本の征夷大将軍やイスラム帝国のスルタンのような存在ができたことになるでしょうね。

 曹氏が帝位に就かなかったとして、残る呉と蜀がどうなるかが微妙なところですが、皇帝という存在そのものが権力的意義を失うであろうことを考えると、やはり歴史の実態はそんなに変わらない気がします。


 ……いや、どうだろう? 案外、あくまで漢王朝を護持しようとする曹氏政権に反抗する意義が失われて、史実よりも早く天下統一が成るかも? そうすると八王の乱も起こらず、異民族の侵入も五胡十六国時代も現出せずに、もちろん隋も唐も成立せず、中国はかなり長い期間、生粋の漢民族の支配する土地となっていたかも。モンゴルの侵入は防げなかったでしょうけど。



 まあ結局はifモノの常と言いますか、どうとでも言える、というのが正解ですかね。あまり面白くないですが。(爆)
>このように中国で王朝が長続きしないのは上記の事を真似して歴代の中国王朝が衰えた時に
>王朝で伸し上ってきた人物が禅譲をしまくったからだと指摘されてますし

中国王朝の滅亡は、禅譲よりも
反乱・革命や異民族からの侵攻によるものが多い気がしますが。。。


皇帝が乱立した三國時代にあっては、余り皇帝に重きは無いかなと個人的には思います。


曹丕が皇帝にならなくても蜀、呉は存在していたでしょうし(王として)、自然に晋にとって代わったのでは?

皇帝、丞相、王、など三國時代においてはただの肩書きとは言えないでしょうか?

うーん…中華思想や、天の代行者、社禝を奉る、その民や社会の象徴たる者の存在は、もう始皇帝が一度帝位に着いてしまった以上は求められ続けたモノなんじゃないでしょうか?

肩書が実質以上に重みを持つのは良くあることだし、正統な肩書のない権力者は所詮はただの成り上がり者としか見られない(知識人からも平民からも)んじゃないかな?と。
皇帝を自称した袁術のハブられっぷりを見る限りはやはり帝位は重要なモノだったろうし、三国後の革命も禅譲の手続きをしっかり行っているのはその所以かな?と。

ただし、それ故に逆に禅譲の手続きさえ行えば革命の正当性は得られる、と言うシステム(の様なもの)を曹丕(と王モウ)が作ってしまったのは、確かに日本の天皇家の万世一系とは違い歴代王朝間の易姓革命を容易にした要因の一つだとは思います。
そこら辺はトピ主さんと同じような考えかな?

でももし禅譲システムが無かったら…の想像は俺にはナカナカ予想がつきませんあせあせ(飛び散る汗)
あちらの人は天下を取ったら皇帝になるのが普通だと思います。
私が知ってる例外は周の文王と曹魏の曹操くらいで、後は大抵そうなんじゃないでしょうか?
だからもし曹丕が皇位につかなくても曹叡が、曹氏が皇位を奪わなくても司馬炎が奪うのが当たり前かと。

ソレデモ禅譲しなかったとしても蜀漢や孫呉の巻き返しは国力から言って到底無理だろうし、結局は後漢(禅譲してたら魏or晋)によって統一されたんじゃないでしょうか。
その後は更に想像にしかならないのでわかりませんが、曹氏も司馬氏も禅譲しないとしても、他の人に取って代われるか、お飾りの皇帝であれば外戚や宦官によって国力が衰え、各地で盗賊が発生→誰かが統一して皇帝に。ってなるかと。
また、50年ほど後漢からやり直すんじゃないですかね。

曹丕が皇帝にならなかったら、もっと早い時期で内乱が起きていたのではないかと思います。
曹操が皇帝にならなかったのは、なる必要が無かった、それだけ大きな影響力があったのではないかな。と見ています。

これで曹丕が皇帝にならなかったら?  というのは日本で言うと秀吉が将軍にならなかったのいうのとダブって見えるのは気のせいでしょうか?

過去の歴史を変える事は無いと思いますが、「if」の世界で想像したりってのは現にしていますね。

気になるのは司馬家の動向です。早かれ遅かれ、司馬の天下となる運命だったのでは?
それもはかない夢で終わってますがね。

先代が偉大でも子孫が愚かでは救いようがないのも歴史よの
曹丕が皇位を奪わなかったら。自分が思うには、漢王室を建て直すという大義名分を掲げ、王室の守護者として戦っていれば、曹家に司馬家がとってかわることは無かったように思います。

曹操が皇位の禅譲を迫らなかったのも、たとえ、禅譲という形をとっても、周囲から見れば簒奪としか見なされないと思ったからじゃないかなと。

まず、蜀・呉を逆臣として討ち、その後に皇位の禅譲を迫れば、また違った歴史になったのではないかと。
>>イニシャルHさん

>>中国王朝の滅亡は、禅譲よりも
>>反乱・革命や異民族からの侵攻によるものが多い気がしますが。。。

中国の王朝交代のパターンとしては

農民一揆で国全体が乱れる→戦国時代→特定有力者(貴族・軍閥)の台頭→有力者が皇帝に禅譲を要求

と言ったパターンが大半で実はフランスやロシアのような市民(農村)革命型や
異民族流入型は少ない方なんです。
(曹丕の禅譲要求が無かったら王朝交代はずっと少なかっただろうとされる根拠です。)

異民族の征服としては鮮卑系の将軍が反乱の起こし国境が手薄になって遊牧民が侵攻しほうだいになった西晋
金の侵攻で首都を落とされた北宋のようなパターンがありますが
中国には長江があったため完全に滅ぼされるのは避けられました。
(参考として他国の例では西ドイツのボンにある省庁は国防上のため全てライン川の西側にありました。)

また異民族王朝と言われる北魏も政策から自主的に漢化し
北朝の王朝交代も全て禅譲で行われてます。

南宋→モンゴルや明→清の場合は言わずとも知ってると思います。

またフランスやロシアのように民衆が自主的に立ち上がって前政権を打ち倒した例は
元→明や辛亥革命くらいしかありません。
また辛亥革命に関しては革命の指導者と言われる孫文は諸外国から信頼を失っており
袁世凱の力無しには革命を成功させるには不可能でした。
(また革命派は袁世凱の軍隊に押しまくられ崩壊寸前まで行き、袁世凱に妥協するしか方法が無かった)

まあ、あの中国のことですから王朝崩壊が放伐ばかりになった可能性も否定しきれませんけども
今の天皇のような漢室になるんじゃないですか。
任命や国事に出ても、権力はない。
禅譲は五帝の時代にはあるみたいですが、伝説に近いのでなんともです。
けど、殷周の交代、春秋、戦国時代には呂氏斉から田氏斉、燕の子之、
晋の六氏から韓、魏、趙の分割

曹丕や王莽以前から行われているようですね。
彼らがそれほど影響与えたのでしょうか?
あれだけの土地に放っておいても爆発的に増加していく人民。

これらを全て統治していくのは並大抵のことじゃ不可能ですね。

昔は手っ取り早い方法で「いう事を聞かない者は処刑」という形で治められていた時期もあったのですが、その「目」の届かない所では賄賂や盗難、殺人が毎日のように起きていたのではないでしょうか?

日本という島国が統一されるだけでも多くの血を流してきているだけに、あの広大な中国です。

全てを求めるのは酷かと。


現代においても世界の各地ではまだまだ紛争など起きています。
焦っても仕方ないですね。

民は「そこ」で少しずつ変化していくはずです。



話が逸れちゃいましたが、司馬イが曹丕の命を計りながら、司馬家の為の用意的な準備をしていたのでしょうか?

曹操は死ぬ時も「司馬イは信用してはならない」と・・・・

これが史実だったら・・・・・という気がしてなりません。

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