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三国志コミュの貴方が選ぶ名場面・名勝負!

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リアルタイムで時間が流れる三国志ワールド。
長い歴史の中で、数々の名場面が生まれてきたと思います。
そんな中で、「この場面が一番好きだぜ!」「この合戦・一騎打ちには興奮した!」
という名シーンが、誰でも一つはあると思います。
皆さんのこだわりのベストシーンをぜひぜひ書き込んでください^^

ちなみに私は・・・張飛がただ一騎、長坂橋で曹操軍を迎えるシーンと、
孔明が魏との開戦を勧める為、呉の文官たちと舌戦を繰り広げるシーンです。

皆様の熱い書き込みをお待ちしております^^

コメント(28)

豆を煮て持って羹と作し
豉を漉して以って汁と為す
萁は釜の下に在りて燃え
豆は釜の中に在りて泣く
本とは是れ同根より生じたるに
相い煎ること何ぞ太だ急なる

やっぱり曹丕が曹植を処分しようとして「七歩のうちに詩を作れ」と難題を出して追い詰めたとき曹植が読んで曹丕をうならせた「七歩の詩」の場面が僕は好きです。
>海原高尾山様

なるほど!と思いました^^
曹丕は逆に曹植の知恵者ぶりを思い知らされてしまいましたね。
しかし曹植にしても楊修にしても孔明にしても、
頭が良すぎる人はどうしても疎まれてしまう時代だったのでしょうか・・・
>おすぎさん

曹操みたいな敵の武将でも能力があるものは受け入れる完全能力主義の人や、劉備のような仁義に厚い人は別格として、乱世の野望入り乱れる時代でしたからねぇ。。
潰しあい見たいな感があったんじゃないですかねぇ〜
その中で能力のいいひとは目立つしライバルも多くなるだろうし。。

曹操から疎まれるのを避けるために劉備がわざと雷に驚いて見せたり、曹叡が死後実権を握った曹爽を油断させるために司馬懿が老人となりボケたように見せたりもしましたよね^^

「能ある鷹は爪を隠す」または「出る杭は打たれる」じゃないですけどあまりに能力があるのもうまく世渡りしないと大変なんじゃないですかねぇ〜
ですねぇ、賈[言羽]も元々は曹操の天敵で典韋や曹昂の
仇である張繍の部下だったのが曹操に降伏していたので、
息子を有力者に嫁がせなかったとか、跡継ぎを曹丕と
曹植のどちらにすべきか曹操に聞かれた時にどちらかは
答えず「劉表と袁紹の親子のことを考えていました」と
切り返したり、極力揚げ足を取られないようにしていたり
しましたからねぇ。
私も前から曹植の良い詩集を探しているところです^^。
読みにくいのとどこまで網羅しているかどうかが
わからないのでなかなかコレっていうのが
見当たらないんですよね〜。

曹操の息子の中では曹昂子脩と曹植の二人が好きでした。

■呉のオススメ名場面

田舎で起きた地味な一戦なので
多くの人の記憶には残ってないと思いますが、
神亭山の太史慈VS孫策の一騎打ちがオススメです。

>あるとき、太史慈が孫策軍を偵察していると、
>周囲に少数の騎兵しか従えていない孫策に出会う。
>太史慈は、孫策に対し、一騎打ちを挑み、
>孫策もそれに応じた。数合打ち合ったが、
>勝負がつかず、引き分けに終わる。

攻め手は無名の偵察官。
受け手は武勇の誉れ高き孫堅将軍の遺児。

十歳も年上の男を相手に正々堂々と勝負する
二十一歳の若者の胸は如何程燃えていたことでしょう。

孫策が気高い理想を持つ優良健康青年だった事や、
父親に似て勇猛果敢である面が伺えます。

この勝負の後、孫策は捕らえた太史慈を信頼して解放し、
太史慈は大方の予想を裏切って、
惨敗兵をまとめて孫策の元に帰ってきます。

正史では「孫家三代に仕えた」という表記が良くありますが、
裏を読めばそれは「孫権だけに仕えたのではない」
という事であり、三国志全体からみると地味で
こっけいな存在でさえある呉ですが、
ここでは真の呉主の姿を楽しむことができます。
武将じゃないですけど、番外的なところでは

横山光輝氏の三国志に出てくる場面で、劉備の母が劉備が剣と引き換えに買ってきたお茶を川に捨てて、劉備に漢の景帝の末裔であることを諭した場面は結構好きです。

彼女のおかげで桃園の誓いがあり、劉備が旗揚げできたのだからその役割は大きいと思います。
さすが三国志好きの皆様、それぞれのコメントに並々ならぬ
情熱が伺えます^^
皆様に書き込んで頂いた場面、私もよくよく読み返してみようかと思います♪

本日三国志を読んでの収穫・・・
一日がかりで行われた張飛VS馬超の一騎打ち。
不謹慎ながらも、本当はどちらが強かったのか決着が着いてほしかったなぁ・・・と感じてしまいました。
非国民ですいません。
横山三國志だけど劉備と孫権の十字岩かな
約10年間動いてなかったここも動き始めてうれしい(^◇^)
孔明先生の
『大鵬万里を駆け燕雀その志を知らず。燕や雀が林ではなくこちらに集まっていたとは意外でした』ってセリフめっちゃ格好いい!!!
三国志のDVDを観てます。

孫堅の最後。
陳宮の最後。

いや〜、良いシーンでした。
呂布と関羽の一騎打ち
赤兎が100メートルジャンプして関羽に一撃、青龍刀で受け止めて関羽が一撃、呂布の頬にかすり傷がピシャっと
呂布の最期。

縛られて引き出された呂布が曹操の痛いところを突く一言。
「曹公が歩兵を率い、私が騎兵を率いれば天下を取るのはわけないでしょう」

曹操はためらいの色を見せる。

そこで劉備の決定的な一言。
「丁原と董卓がどうなったかお忘れか」

曹操はうなずく。

劉備に対して最後に呂布の悪あがきの一言。
「大耳野郎。こいつが一番信用できない奴だぞ!」

最後の呂布の言葉が的を射ていてかなり笑える・・。
龐統の最期。三国志 Three Kingdomsを観てます。

好きなキャラクターだったから、残念です。諸葛亮も認めている名軍師ですよね。あの見た目で名軍師だとは、これからの活躍が楽しみだったんですけどね。

史実じゃないかもしれませんが、落鳳坡に行ってみたいです。


>>[20]
史実だと孔明は軍略家ではなく政治家色が強いと言われていますが
では職の軍略の中心人物は?そうなんです史実上軍略の中心は間違いなく
龐統でした、のちの歴史家たちはこういいます
「龐統と法正が生きていたら必ず劉備の呉への遠征を止めていただろう
」つまり龐統と法正の死が蜀滅亡の始まりだと考えます
>>[21]
そうなんですね、ありがとうございます。

ドラマを見てると、諸葛亮は『本当にこんな人がいたのかな?』と思うぐらい作戦を当てまくります(笑)逆に見ているこっちが驚きます。
龐統が死んだのは残念ですが、これからが楽しみです。
>>[22]
孔明が名を遺した意味は民衆人気に
よるものなんですよ、政治家としては本当に
優秀で、いい政治を蜀の地で引いていたのが
いまだに名を残している因となっています。
演義から。孫策が袁術に玉璽を渡して兵を借りるシーン。

名ばかりの玉璽を捨てて三千の兵を借り、自分の勇と才に賭けた孫策。
実質は何もないのに玉璽を得たがために思い上がり、没落していく袁術。

一見何気ない場面ですが、二人のその後の明暗がはっきりと別れた瞬間だと思います。
長文失礼します。

孔明の善政は本当に良かったようですね。陳寿の評を引用します。

 諸葛亮は丞相になると、民衆を慰撫し、踏むべき道を示し、官職を少なくし、時代に合った政策に従い、まごころを開いて、公正な政治を行った。忠義をつくし、時代に利益を与えたものは、仇であっても必ず賞を与え、法律を犯し、職務怠慢な者は、身内であっても、必ず罰した。罪に服して反省の情をみせたものは、重罪人でも必ずゆるしてやり、いいぬけをしてごまかす者は、軽い罪でも必ず死刑にした。善行は小さくとも必ず賞し、悪行は些細でも必ず罰した。あらゆる事柄に精通し、物事はその根源をただし、建前と事実が一致するかどうかを調べ、うそいつわりは、歯牙にもかけなかった。かくて、領土内の人々は、みな彼を尊敬し愛した。刑罰・政治は厳格であったのに怨む者がいなかったのは、彼の心くばりが公平で、賞罰が明確であったからである。

『荀子』に次の言葉があります。長くなりますが引用します。

元来、刑罰は犯罪にかなっていれば威厳が立つが、犯罪にかなっていなければあなどられる。また爵位は優秀者にふさわしく与えられれば尊重されるが、優秀者にふさわしくなければ賎しめられる。昔は刑罰は犯罪よりも重くはならず、爵位褒賞は本人の徳より以上にはならず、確固としてそれぞれにその誠心を通じあえた。そこで善事を行う者は奨励され、悪事を働く者は阻止され、刑罰は殆ど執行されないでいて威令が水の流れるようにゆきわたり、政令も非常に明白で不思議なほどにうまく民衆の風俗を変化させる。(君子篇第二十四)

古代の聖王の喜怒の感情はすべて正当であったから、従って喜ぶ場合には世界中の人々もそれに応じ、怒る場合には乱暴者もそれを恐れた。(楽論篇第二十)

荀子の理想とする統治と、孔明の治世、なんとなく似てませんか。

両者に共通するのは、賞と罰が正しく行われれば、人々は正しく統治者を慕い、正しく統治者を畏れ、上に立つ者に正しい威厳が生じ、領土内で正義が実現される、という点です。

孔明は法を重んじていますが、韓非子流の冷たい法ではなく、血の通った人間的な法です。
孔明は法家思想だけではなく儒教を受け継いでいたと個人的には思います。
諸葛亮と言ったら、やっぱり、魏の遠征時に覚悟を記した「出師表」を主君・劉禅に奏上した時
『近思録』に宋の大儒、程伊川の孔明を評した言葉があります。

諸葛武侯は儒者の気象あり 孔明は儒者の風格がある
孔明は礼楽に近し     孔明は新たな道徳を興す人物に近い

「孔明は礼楽に近し」は若干大げさな気がしますが、孔明の血の通った善政、出師の表の忠誠、など総合的に見ると、大儒、程伊川でさえ、孔明は儒教をある程度体現していたと感じたようです。

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