午前中に
でグダグダしていると言う投稿を致しましたが
その投稿した後も外を見ると天気もまずまず…
そして、1時間後に少し散歩に出るかぁ〜と言う事で、ついつい出歩いてしまった。
地下鉄を乗り継いで『浜離宮恩賜庭園』に来ました。
浜離宮恩賜庭園は中央区の築地市場の隣に位置しており
私が小学生の頃は良く遊びに行った遊び場でもありました…。
そして、浜離宮恩賜庭園入り口…
浜離宮恩賜庭園はこんな所…
浜離宮恩賜庭園とは…
東京湾からの海水を引き入れた汐入の池と、二つの鴨場を伝え、
江戸時代には、江戸城の『出城』としての機能を果たしていた徳川将軍家の庭園です
承応3年(1654)、徳川将軍家の鷹狩場に、四代将軍家綱の弟で松平綱重が、
海を埋め立てて松平綱重の地元甲府の甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てました
その後、綱重の子、綱豊が六代将軍になったのを契機に、
この屋敷は将軍家の別邸となり『浜御殿』と呼ばれる様になりました。
その後、歴代の将軍の声係りで幾度となく造園と改修を工事が行われ
十一代将軍家斉の時代に今の状況にて落ち着いたとされて居るそうです。
入り口を入り時計と反対廻りで見て歩きます
東京のど真ん中に高層ビルに囲まれた様に位置する浜離宮恩賜庭園の
美しく整備されたに庭の木々を見ながら進みます…
時季遅れの葉桜に成り掛けた桜も見られましたが
少し早いのでは『藤棚』に藤が咲き誇っておりました…
再び庭園の景色を見ながら歩いておりますと
休憩所が見えて来ましたのでお団子とクレープを購入して半分づつ頂きました…
20分程休憩をして更に奥に進みますと汐入の池に出ます
汐入の池の中に設けられた中島のお茶屋…
景色を眺める
様…
池の周りの芝生には鳥たちも…
横堀池と汐入の池を渡る中の橋…
浜離宮恩賜庭園には四つの歴代将軍が建てたお茶屋がありましたが
長い年月の間に焼失したり、老朽化で駆逐したりしてしまいました。
そして、その各茶屋はその当時の残された資料を基に再建されたそうです
松の御茶屋…
平成22年(2010)に再建されました…
鷹のお茶屋…
平成30年(2018)に再建されました…
燕のお茶屋…
平成27年(2015)に再建されました…
そして、中の島にあります『中の島の御茶屋』は唯一解放されており
有料ですが『お茶と和菓子』を頼む事で中に入り景色を堪能しながら
歴代の将軍も眺めたであろう景色を楽しめます
中の島の御茶屋さんに行くには『お伝い橋』を渡って行きます…
お伝い橋途中から、先程見ました『燕の御茶屋』
お伝い橋途中にあります『小の字島』越しの中の島の御茶屋…
小の字島にあります藤棚…
お伝い橋途中から中島橋…
お伝い橋を渡り中の島の御茶屋から渡って来た橋を振り返る…
中の島の御茶屋から三間橋…
中の島の御茶屋から汐入の池を挟んで『松の御茶屋』
今日は節約ではありませんが中の島の御茶屋さんには寄りませんで
お伝い橋を渡り切り富士見の高台より全景を見渡します
残念ながら江戸時代には見えたであろう富士山は見えませんでした…
富士見の高台から横堀汐入の池沿いを歩きますと
八重桜がまだ目を楽しませてくれておりました…
横堀の汐入池〜中の橋越しに中の島の御茶屋さん
葉桜になって居る染井吉野も少し…
更に横堀の汐入の池沿いを歩いておりましたら、思いもよらない桜に遭遇
1度 見て見たかった『御衣黄桜』通称『緑の桜』
この桜を見に静岡県の掛川まで行こうと思っておりましたが、
まさか此処浜離宮恩賜庭園で見られるとは感激です…!(^^)!
御衣黄桜:4月中旬頃、濃緑色の花弁が反り返り、1本の雄しべが突き出て淡黄緑色の
小輪八重の花をつけるそうです。この花が『御衣』と言う萌黄色の
貴族衣装に似る事から名付けられたそうです。
御衣黄を見ておりましたら此処まで何とか持っていた
が降り出しましたので
まぁ〜また来ようと言う事で出口の方に速足で向かいます…
出口であり入り口の脇にあります推定『300年の松』
およそ300年前の宝永6年(1709) 6代将軍 徳川家宣が、
この庭園の大改修を行った時に植えられたと伝えられた都内最大級の黒松です…
出口の脇には『アヤメ』だと思う…
浜離宮恩賜庭園より
も小降りになりましたので汐留駅の方に向かい、
途中から地下道にて新橋に出まして、新橋から銀座の歩行者天国を通り
有楽町にありますアンテナショップ『沖縄館(わしたショップ)』に来まして
凄い遅いお昼と言う事で『ソーキそば』を頂きました…
ソーキそばを頂き、すぐ側にあります『北海道 どさんこプラザ』にて
メロンと練乳のミックスソフトを…
美味しく頂きまして、時計はもう5時半
明日の事もありますので
にて帰路と致しました…
まぁ〜
何だかんだと言いましたがお出掛けしてスッキリ
とても良い休日になりました…!(^^)!
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