生きる伝説、舛岡富士雄という男の話
ジョギングをしながら音楽を聴く...
ポケットから携帯電話を取り出して連絡を確認する...
営業先でパソコンを開いて資料を見せる...
こんな今では
“当たり前”な光景が、
ほんの40年前までは
「変人の夢物語」と笑われていました...
1984年、カリフォルニア州サンノゼ
国際電子デバイス会議(IEDM)という、
半導体技術に関する世界最大規模の国際学会が開かれていました。
開発が進む半導体技術への期待から、
会議は開会当初から大きな盛り上がりを見せていました。
しかしその中で、
ひときわ大きなざわめきが起こったあの時の衝撃は
今でも秘かに語り継がれています...
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舛岡富士雄という日本人の男は、
東芝で技術者として勤務する中で、
独自に
「フラッシュメモリ」を発明していました...
「“フラッシュメモリ”があれば、ジョギングしながら音楽を聴くことだってできる」
しかし、当初東芝内での評判は芳しいものではなく、
舛岡が語るフラッシュメモリの可能性は
「変わり者の夢物語」と鼻で笑われていました...
そのため上役たちは、舛岡の開発品が「IEDM」で
高い評価を受けるなど、考えてもいなかったのです。
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しかし、いざ壇上に上がり、
“フラッシュメモリ”について語り始めると...
舛岡が発明した画期的な製品の可能性に、
会場はざわめき...
現地アメリカの技術者達は顔を見合わせ...
互いに衝撃が走り去った表情を浮かべ合ったのです。
そして、会議終了後、
東芝には、
アメリカのコンピュータ関連会社や自動車メーカーなどから、サンプルに関する
問い合わせが殺到...
中でも
インテルは、300名のエンジニアを「フラッシュメモリ」の開発に投入し、東芝を猛追し始めました。
結果、どうなったか...
東芝が“フラッシュメモリ”の可能性に気がついた頃には、
市場は瞬く間に
インテルに制圧され...
東芝が築いていた優位は失われることに..
一番の功労者であった舛岡も、
功績の割に合わない
不遇な扱いを受け、数年後には東芝を退職しました...
あなたは今、
このメールをどうやってご覧になっていますか?
スマートフォンでしょうか?
パソコンでしょうか?
悲しいことに、
スマートフォンでサッと連絡を確認する...
外でパソコンを開いて操作をする...
そんな私たちにとって
当たり前の光景を
作り上げたと言って過言ではない、
舛岡富士雄という
半導体産業にとって
“英雄”のような存在が残した
功績を、
現代の日本人は忘れかけています...
それどころか、
日本人が忘れかけていることや、
そうした状況に気が付いていないことを、
中国や韓国など隣国の
半導体競争国が、
日本に入り込む好機とばかりに捉え、
日本に迫っている始末...
このままでいいのでしょうか...?
経済安全保障アナリストとして、
中国事情や半導体産業に精通した
平井宏治氏は、
迫り来る
隣国の脅威と
日本半導体技術の未来について、このように述べています。
(残念ながらリンク先は
期限切れで閉鎖されていました
)
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