東京から神戸への避難・移住
下澤陽子
【1】健康被害、娘の身体の詳細
2013年夏。2020年のオリンピックの開催地が東京に決まった時、私は東京の我が家にいました。
テレビでは安倍首相が両手を広げ、「状況はコントロールされている」と福島第一原発事故について話していました。
放射能汚染が東京にいかなる悪影響をこれまで及ぼした事はなく、今後とも及ぼす事ははい、健康問題については今までも現在もそして将来も全く問題ないと、笑顔でなめらかに話していました。
そのとき、私の隣には次第に調子を崩し、健康を失っていく8歳になろうとする娘がいました。
「気持ち悪い。力が出ない…。」
「だるい、頭が痛い、お腹が痛い、足が痛くて歩けない、手が痛い指先まで全部痛い、寒い、顔が熱い、お母さんつらい」
原発事故後の娘の身体は、 母の私から見て明らかにおかしいものでした。繰り返した肺炎、周期的にくるわけのわからない様々な不調、そして最後はそれに飲み込まれ身動きの取れなくなっていた娘でした。事故後、そんな症状に周期的に悩まされるようになり、それは次第にひどくなり、良くなる気配がありませんでした。
当時、私は原発については全くの無知でした。
原発事故からしばらくして、やっと、ハタと目覚め、しゃかりきに原発に関する情報を集め、本を読み、様々なことを知るようになりました。私の知識が増えていくのと娘の具合がおかしくなるのはちょうど並行していました。そして内部被ばくについて色々と知り始めた時、初めてこの娘の異変と放射能の問題を結びつけて考えることができたのです。
確信などありませんでした。
まさか被ばく影響？東京で？
そうした懸念を医者に話すと鼻から相手にされず、なぜか叱られました。夫に話すと笑い飛ばされ、最後には夫はいつも怒り始め、私たちはケンカになりました。
病院で初めて放射能の懸念を口にし、医師から散々に否定されて落ち込み切っていた日、夫が日本小児科学会のホームページをプリントアウトしてきて見せました。「これを読め」と。
「この人たちが嘘を言っているのか？！この人達にも孫がいるだろう？！電話してやろうか」
私が夫に「この内容は嘘ばかりだ」と話すと、夫は心底呆れたように激昂しました。私はこの日のことをずっと忘れることができません。私達は仲の良い夫婦だったから、こんなふうに怒る夫を見るのは初めてでした。その日本小児科学会のプリントにはこう書いてありました。
○ 福島の放射能はチェルノブイリの1/10である。
○ 自然放射線も人工の放射能も与える影響は全く同じ。
○ 心配することによって母親の精神状態に影響を与える。またその子どもに与える影響の方が懸念される。
私はこのプリントを読んだ時の吐き気のするような気持ちをまだ覚えています。内容には、完全に間違いと言えることもあったけれど、そう言い切れないこともあり、でも、本当に話すべきポイントから的を外したような書き方でした。私が知り始めていた”内部被曝”という問題を思考させいないようにさせている、そんな印象でした。その意図が、ひたすら恐ろしく、だから吐き気がしたのです。
この頃の私は少なくともそれを感じられるくらいには、この問題に本気で向き合っていました。私だって思った！「あなたにも孫がいるでしょう！」と。
友人には一切話せませんでした。「全く問題ありません」笑顔とともに話される安倍首相の言葉は、東京に住む私たちの常識、満ちる空気のようなものですから。
わからない。
娘が何に苦しんでいるのか、なぜ苦しんでいるのか。何をしたら良いのか、わからない。いつまでこれが続くのか、娘が元気になる日が来るのか、先も見えない。
辛い日々。
それは、娘のようすは、いわば原爆ぶらぶら病のような症状でした。5歳まで健康そのものだった娘です。人一倍体力があり、朝から晩まで毎日外遊びをしているような子でした。
安倍首相の話す、Under Controlというとてつもない嘘に衝撃を受けましたが、
「健康問題については今までも現在もそして将来も全く問題ない」
この言葉には愕然としました。
そのときまだ、娘の健康被害の確信があったわけではないのですが、私にとって健康問題とは今まさに起きている我が子の問題でした。娘のことを知らない首相に笑顔で語ってほしくはありませんでした。娘もろとも押しつぶされ切り捨てられて行くような感覚を持ちました。
娘はこの半年後、とうとう1日も回復できない状態になりました。学校へは行けない、友達とも遊べない、ひどい時はトイレにもひとりで行けない。
それは原発事故から3年過ぎた頃の事でした。
【2】三田医師との出会い、転地保養の効果、移住へ
そんな時、関東で唯一、被曝の問題に真摯に取り組まれていた、三田茂医師に2014年3月に出会いました。三田茂医師は自身の避難・移住を1カ月後に控えていました。先生の地元、東京都小平市の最後の講演会に、私たちはギリギリで間に合いました。その頃の娘は家でずっとぐったりと横たわり、トイレへ行くのもおんぶしていく状態でした。
三田先生は、保養や移住で症状が改善されたり、血液の数値が良くなったりする、と話されました。これは私たちにとって大きな大きな、希望でした。
「娘を早く動かそう」
夫婦の気持ちが初めてひとつになりました。
三田先生は、娘のことを、それは被曝の影響だと思うとはっきり言われました。
被曝の影響と言われて喜ぶ母はいないでしょう。
自分の娘が放射性物質の影響を受けているだなんて、私が思いたかったわけがない。
でも、事故から3年後、この言葉を聞いた私の気持ちは明らかな安堵でした。
ああ、やっとこれでこのことに向き合える、回復への道を探れる、という。
まずは、保養、移住、汚染のない場所へ動くことを、三田先生に勧められました。
私たちはすぐさま、娘を実家のある富山へと動かしました。
そして奇跡が起きました。
トイレへ行くにも負ぶっていた娘は、数日後、徒歩15分の海まで歩き、プールで泳いでいました。
いつも何をしていても気持ちが悪い、身体が痛い、と泣かれ、学校はおろか全く外へ出ることができなかった1ヶ月を過ごした後の、奇跡でした。
同じ事は沖縄でも、後の移住先となる神戸でも起きました。
そして、東京の我が家に戻ると、だめになる。１週間してだめなる、早いときは戻った夜にもう、だめになる。
いったん元気を取り戻した娘が、
「疲れすぎて宿題が出来ない」
「お母さんがっかりするから、気持ち悪いって言えなかった」
再び症状の波に飲み込まれていくときの悲しさ、ポロポロと泣いていた娘の姿、忘れることはないです。
こうして、転地保養したとき以外、1日足りとも元気を取り戻すことのない日々を4ヶ月ほど送った後、私達は家族で西日本神戸へと移住しました。
母子避難から始まる他の多くの関東からの避難者と違い、初めから家族移住で、経済的に困窮することは避けられた私達は、縁もゆかりもなかった神戸にすぐに馴染み、生活は順調に滑り出しました。なによりも、娘がメキメキと蘇り、今までの分を取り戻すかのように沢山の友達と遊び回る姿は奇跡を見るようで、感謝の思いでした。
【3】移住後の検診、血液検査について
娘の体に、何が起きていたのか。
そして今私たちの体に何が起きているのか。
私は、移住後、岡山の三田医院での診察と検査により、少しずつ知っていきました。
私たちが検診に通うようになり、まず初めに受けた検査は甲状腺エコーと血液検査です。(2017年以降、ホルモン検査も加わりました。)
私達は、有り難いことに今のところ甲状腺には異常が見られません。
血液検査では、甲状腺の機能の数値をみる検査や、 白血球の5つの球の数値を見る白血球分画検査をします。
三田先生は2011年3月の原発事故の少し後から、放射能の降った関東、首都圏の子どもや大人に、血液から被曝影響を見る検査をずっと続けていらっしゃいます。白血球分画の血液検査は、放射線を浴びる仕事に従事する人なら年に2〜4回、義務づけられているそうです。普通、被曝影響をみるとき医者ならまず血液をみる、と三田先生は言われます。
でもなぜか血液検査は福島の一部の地域でしかされていないようです。福島の県民健康調査検討委員会でもほとんど話題にされていません。
基本的なはずの検査だ、と素人目にも思いますが。
三田先生の検査では 事故以降、関東の子供たちの、特に10歳以下の子どもたちの白血球の多くに以下のような変化が見られたそうです 。
最初は汚染の強いホットスポットのような場所だけだったそうです。それが年を重ねるにつれ、東京西部のような汚染の薄い場所にも、数値の悪い子が広がってきたということです。
�� 白血球総数の減少
�� 好中球数の減少
�� 好酸球数の増加
�� リンパ球の減少
�� 血小板の減少 (2015年からじわじわと)
この中で�´� はその変化がはっきりしていて特に好中球は年を重ねるごとに顕著にさがってきているようです。
うちの二人にしてもそうでした 。東京で移住直前、娘の検査で、�´△論犠錣離�リギリで基準値を大きく下回っていました。
そして、移住後 1年、ちょうど2015年8月頃、娘の3つ上の兄が三田医院で初めて行った血液検査で同じような結果が出ました。正常のぎりぎりでした。
息子は元気で何の問題もなかったので全く心配はしていませんでした。
私の住んでいた東京都国分寺市は東京では汚染の少ない場所でしたし、私は何の防御もせず子ども達は砂と灰にまみれて毎日遊んできました。
その点では娘より息子の方が何枚も上手でしたから、もしや？と思わないでもありませんでした。
でも実際数値を目の前にするのはちょっとした衝撃でした。親は目の前の子が元気だと安心してしまいます。
この時から始まりました。私の「ひとり検査推進運動」が。
「うちの子供たちだけの問題であるはずがない」
そんな焦りでした。
東京で、私がずっとひとりで、娘も誰からも守られないでいたこと、そのやりきれない記憶も私を動かしました。
娘に起きてきたこと、血液検査のこと、私は東京の知り合いに片っ端から話しました 。メール、手紙、資料も送って。多くは母親友達です。
結果は惨敗。打ちのめされました。
話を聞き、検査を受けてみようかと考えた母はたったのひとり。息子の友達の母だけでした。
私はその子が東京から神戸のわが家に遊びに来たついでに三田医院に一緒に連れていきました。2016年春の検査のことでした。
その息子さんは何の異常もありませんでしたが、ただやはり白血球と好中球数はとても低かったです。基準値より外れ、かなり下でした。
この2016年春の検査で、心配していたうちの2人の好中球はぐんとアップし基準値に乗りました。このときは本当に安堵したものです。
以下、主に血液検査についての、三田先生のお話をご紹介します。
○被曝の影響をみるには、白血球、赤血球、血小板をみるのが、基本のキ。子どもが育つのに身長、体重、を測るのに等しい。
○白血球をみるのに大切なのは、「実数をだす」ということ(％から簡単に計算できる)。
〇基準値は年齢によって違う。三田医院のホームページにある検査用紙の表を参考に、値をグラフにしてみて、濃い緑色の枠内にちゃんと乗っているかみる。例えば大人の好中球の基準値は3500〜9000。でも幼児だと1万近くある、新生児だと2万いく。年齢ごとの基準値で判断すること。
〇今、 新生児の数値が悪いことが多い。大抵の病院は大人の値を基準としているから、最近の例で4000しかなかった新生児が異常なし大丈夫という話になる。
○普通、小児科医は血液を見るとき重症かそうでないかという基準でしか見ない 。全体の傾向には気づいていない。今、東京から来る子供たちの好中球は、9割方が平均に達していない。それだけの影響を受けているということ。
○子ども達は値は悪くとも、病気にはならずに踏ん張っていると思う。子どもは治る力も強い。危ないのはお年寄りの方。
○ 東京の患者さんたちを見ていて、一段二段健康状態が悪くなっている、と思う。一見元気に見える。でも治療する立場から見るとそうではない。治療の効果がすごく悪い。様々な疾患が治りにくい、薬が効かない、へんてこな病気が増えている、など。
○ 甲状腺は大きな問題とは思っていない 。甲状腺の病気の発症は数からしたら少ない。そして癌でなければ深刻なことにはならない。甲状腺ホルモンの数値に一喜一憂する必要はない。もっと見るべきところは他にある。
【4】移住後の検診、ホルモン検査と、「能力減退症」について
そして、原発事故後5年以上が過ぎた頃、2016年頃から三田医院では、脳下垂体ホルモンの検査というものが始まりました。それは患者さんの間で気になる症状が目に見えて増加してきたからです。
私は、被ばくの、脳、という大切な場所への影響を知るようになりました。
私たち親子はとりあえず健康です。ですが、娘含めた私たち親子三人の下垂体、特に副腎の関係するホルモンの値は、いつも基準値ギリギリか、その下でした。
そうしたホルモン低下とともに生活に差し支えるような、意欲、思考力、記憶力の低下、それから病気と戦う力の低下などの深刻な症状に悩まされている人たちが増えている、と三田茂先生は話されます。それは、ヒロシマ・ナガサキの被爆者が、最も苦しまされた症状「原爆ぶらぶら病」にとてもよく似ています。
「能力減退症」先生はそんなふうに名付けています。
【5】】私の思い、訴えたいこと
私達は取り戻せるのか。
それは誰にもわからない。私たちはずっと実験台です。
今、実験台に乗るこの国の多くの人たちは、取り戻すために知恵と力を合わせるのではなく、その真逆の方向に全力で走らされています。
東京は、私が生まれ育ち、子育てをし、人生を過ごしてきたところです。親も兄弟も友人もいるところです。
そんな故郷への郷愁の全ては、跡形もなく吹き飛ばされました。
私は帰れません。
帰りたい、とさえ思えません。
それほどに、娘との最後の東京での4ヶ月は、強烈な経験でした。
そして今向き合っている脳下垂体ホルモンの検査結果は、むごく、逃れようのない現実です。
それは、見えない匂わない感じない。放射能の存在の恐ろしさ、です。
そしてそれだけではありません。
身を切られるような私の危機感が、私の周りの親しいもの達と、ほぼ、誰とも、全く共有できないことの恐ろしさ、です。
移住して、劇的に健康になった娘。
こんなことは特別な珍しい事なのかと、検診にて、思い聞いてみると、「僕の感覚で言えば常識的なこと」というのが三田先生の答えでした。
私たちが住んでいたのは、東日本のなかでは汚染の薄い地域でした。線量からいえば、被曝影響だなんて、大笑い！なのでしょう。私もずっとそう思ってきました 。ですが、そんな場所で、部屋の中、つまりは移住空間でさえ、娘は何かを吸っていました。
移住直前、敏感になっていた娘の身体はそれを教えてくれました。吸っていたものは何なのか、吸い続けているそれは人の身体に健康にどんな影響を与えていくのか、専門家の方々には一刻でも早く 検証して欲しい、と私はずっと願っています。
どうか守られますように。
私はまだ諦めてはいません。
再び訴えさせてください。
放射能が降った 土地に住む人たちは検査を受けましょう。
健康診断を続け 子供達には 保養の機会を作りましょう。(本当は大人も)
大人の私達は、未来の子供達のために、未来の私達のために、動きましょう。
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