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2021年07月19日23:58

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小山田圭吾の辞任では幕引きされない五輪の隠蔽体質

■小山田圭吾氏辞任、組織委コメント全文「誤った判断と考え辞意受け入れる」
(日刊スポーツ - 2021年07月19日 21:28)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=6598000

■小山田圭吾のいじめ告白記事『Quick Japan』出版元も謝罪 「差別を助長する不適切なもの」
(ORICON NEWS - 2021年07月19日 19:32)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=6597834

■小山田圭吾、五輪開会式の音楽担当を辞任 依頼受けたこと「配慮に欠けていたと痛感」
(ORICON NEWS - 2021年07月19日 19:15)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=6597812

■小山田圭吾氏の留任 組織委があらためて強調「貢献は大きなもの」
(日刊スポーツ - 2021年07月19日 14:02)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=6597380

 森元会長の時と似たような経緯を辿ることとなった、小山田圭吾の辞任劇。脳筋で未だに自身の差別感情を認知できないまま、バッハ会長の歓迎会にいそいそと出かけて行ってしまう森に比べれば、小山田氏はまだ自身の犯罪行為についての自覚がありそうな気はするが、さて、五輪のオファーを受けた段階でこうなることを予測できなかったのか、やっぱり自身の過去について「甘い観測」をしていたのではないか、という印象は拭えない。もちろん、組織委の起用に際しての人選のチェックの甘さも含めてだ。
 組織委がギリギリまで小山田氏を庇い続けてきたというのも、結局は「同じ脛に傷を持つ身」だからだろう。現会長の橋本聖子議員が就任する際も、過去のセクハラ報道が蒸し返されて、会長に相応しいのかと物議を醸したが、謝罪で何とか凌ぐことができた。小山田氏のいじめ・暴行に比べれば「まだしも軽い」ものだったからだろう。けれども、冷静に考えれば、五輪の組織委の会長としては不適格なのは明白だろう。
 「そもそも論」を持ち出すなら、「五輪を実行できるのは過去の経歴に何の傷も持っていない品行方正、清廉潔白かつ完全無欠な人格者」でなければならないことになる。もちろん、そんな人間いるわきゃないから、「日本のような腐った人間しかいない国で、オリンピックをやろうとしたこと自体、間違い」ってことになるね。
 下手打った人間をただ辞任させれば済むという問題ではない。五輪招致からこっち、どれだけのトラブルが起きてきたか思い出してみればいい。エンブレム問題に始まって、新国立競技場のデザイン変更から、招致に関しての贈賄の発覚、各関係者の差別発言の数々、それに伴う辞任者の続発、果ては経理部長の自殺等々、とても書ききれるものではない。もともと実務能力もなければ自浄作用も期待できない日本人に(まあ世界のどの国でもという意見はあろうが)オリンピックを開けるだけの実力がなかったということを証明してきたようなものだ。
 コロナ禍で首都圏に緊急事態宣言が出される中、それでもオリンピックを強行しようとしているのだから、話は全て繋がっている。組織委がギリギリまで小山田氏を留任させようとしたのは、「罪を憎んで人を憎まず」といったような殊勝な精神に基づいたものではないよ。五輪なんて止めちまえという多くの世論に対して意固地になっているだけだ。

 「日本はオリンピックを実行できる美しい国」――そういう幻想が、五輪推進派には確実に存在している。小山田氏のいじめに関しては言語道断だけれども、森元会長の女性差別発言に関しては擁護論も少なくなく、会長辞任にまではかなり長い時間が掛かった。「この程度の発言まで糾弾されたら、誰も仕事を引き受けられる人材などいない」という事実が露呈してしまうのを政府も組織委も恐れたからだろう。でも実際その通りなのだから仕方がない。「撤退戦」が徹底的に不得意なのも日本の特徴なのだから、やはり最初に五輪を招致した時点から「間違い」は生じていたのである。
 でも、そうなると「責任」の所在を誰に求めるかってのは難しくなってくるんだよね。五輪招致当時は、それを歓迎していた国民は少なからずいたもの。当時から日本で五輪は無理だとよって声はあったけれども、「全体の声」にそれは無視されてきた。そして五輪続行を訴えていた政治家や都知事ばかりを当選させてきたんだもの。責任論を持ち出すなら、「国民」にだってそれはあるのだ。

 前の日記で、小山田氏を糾弾している連中も、いじめ意識に基づいていること、自身のいじめ行為を糊塗するために正義の仮面を被っていることを指摘した。小山田氏を攻撃することで、自分もまた「いじめ加害者」の立場になることを避けようとしているのだ。
 けれども彼らもまた「清廉潔白」でなどあるはずがない。小山田氏ほど酷くはなくとも、誰かをいじめた過去は必ずあるだろう。そこまで正義を語れる立場かと疑うが、増長し集団ヒステリーに蝕まれた大衆は、自身を省みる術を持たない。憎悪の塊を小山田氏にぶつけることに一切躊躇しないのである。
 まさしく、こんな連中に「平和と平等」を謳った五輪憲章が遵守できるはずがない。小山田氏を非難している連中も、所詮は「目糞鼻糞」の類いなのだ。いや、前の日記を書いたときにも絡んできた糞がいたけど、マジで「小山田なんか×ねばいい」って言い放ってたからね。みんな、ネットリンチに荷担してるだけのクズばっかりだ。
 小山田氏を擁護しているわけでも批判するなと言ってるわけでもないよ。「叩いていいと判断した相手はたとえ死に至らしめようと構わない」なんて行為が「正しい」なんて錯覚してんじゃねえよ、と言ってるだけだ。
 自分のアカウントで呟くだけならまだいいよ。でも何の関係もない第三者が、小山田氏を追い詰めようとしてTwitterに突撃したり、あまつさえまさしく無関係な息子のアカウントまで探し出して非難するに至っては、既に「狂気」の域に達している。
 障害者団体や、実際のいじめ被害者が小山田氏を非難するのは分かる。「当事者」なんだから当たり前だ。でも、無関係な「第三者」が自称「正義の剣」を振るうのにどんな正当性があるの? どんな立場でモノを言ってるの? いじめに正当性なんてないんだよ。小山田攻撃に血道を上げている連中には自覚できていないだろうが、あんたら、とうに狂ってるよ。過去の小山田と同じ行為を、今現在やってるんだよ。

 もう一つ「そもそも論」を付け加えておく。小山田氏は実際にいじめを行っていた学生時代に、法でちゃんと裁かれるべきだった。今回の件では、過去の罪はいったいいつまで許されないものなのか、永久に罪を問われてしまうものなのか、という議論もあったが、そもそも、彼は一切裁かれたことがないのである。だから許される余地自体がないし、謝罪も全く意味がなかった。
 当時の学校が、あれだけ苛烈な(書きたくもないから書いてないだけで、どんないじめを行ってたか知らないわけじゃないよ)いじめ・暴力行為が何年にもわたって継続していたのを全く知らなかったとは信じがたい。きっと、見て見ぬふり、臭いものに蓋で、いじめを看過していたのだろう。今でもその隠蔽体質は変わってはいないのではないか。正直、学校自体潰せと言いたい。
 小山田氏が当時罪に問われて、被害者たちに賠償するなり服役するなりしていれば、現在、ここまで叩かれることはなかったのではないかとも思う。罪はとうに償ったのだから、と擁護する声も上がったのではないか。彼のいじめを放置し、それどころか「武勇伝」のように賞賛してきた一部メディアにも、その責任は課せられて然るべきだろう。でもね、それこそ「謝罪の弁」だけで済ましちゃいそうな気配だけどね。度し難いよ。
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