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2020年10月15日14:33

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おばあちゃんが見た景色

祖母が他界した。

医者から最期に会っておくならこの日に、と言われ
仕事を半休にして病院に駆けつけた。
祖母はベッドに寝ていて、起き上がることはなかったけれど
顔色もよく、母にこれからのことを色々と指示していた。
時折、テレビのニュースをきっと睨むような目線をしていて、
俺は”まだ闘っている目をしている。まだ力がある”と確信した。

祖母と会うのは久しぶりだった。
親戚同士の集まりというものが苦手で随分と無沙汰をしてしまった。
年に一回祖母を囲む集まりも、仕事を言い訳にして欠席することが多かった。
ありふれた話だ、感覚が止まっていたんだと思う。
思い立った時に顔を出せば、きっとそこに在る。
自分本位な考え方極まりないが、そう思っていたんだろう。
そんなことを思いながら祖母と会話をすることができた。

祖母は、戦争を体験した世代であった。
確か中国への疎開や帰国など、なかなかな体験もしていたはず。
その経験からか、ちょっとやそっとのことでは動じない強さがあった。
とかく声が大きい人で、無限のエナジーを持て余しているような人だった。
話したいことを話し、基本的に人の話はあまり聞かない。そういう人だった。

ベッドの上の祖母の話に戻そう。
祖母は、記憶よりも痩せていたけれども俺を歓迎してくれた。
俺に超重要なことを伝えてくれた。

男らしく生きろ、と
人前で自分のことを僕と言うな。
寿命を弁えろ、と
管塗れになり、人に迷惑をかける人生になんの意味がある。
怒るな、と
人前で怒るようなみっともない真似をするな。
と力強く伝えてくれた。

俺はその後仕事に向かったけれど、本当に重要なことだと思い
メモしておいた。まさに今の俺に足りないことなんだ。

祖母は少し苦しみはしたけれど、スッと息を引き取った。
安らかな死に様というのはああいうことなのだろう。
日のあたる病室、雨の切れ目の晴れ間にあの世へ旅立った。
俺はその訃報を聞いた時、友人とサイクリングをしていた。
湘南の海は信じられないくらい綺麗で、空もスカッとしていた。
こんな日に旅立てるなんて、なんて持ってるんだろうと思った。
ただ、祖母は強烈な暑がりだったので、きっとあの世の空調係に文句を言うだろう。

一連の流れを日記に書いたり、記憶を整理したりすることで浮かぶのは
祖母はその旅立ちの時期を自分のコントロール下に置いていたと言うことなんだ。
もちろん高齢ということもあるけれど、どこか達観したようなところがあって
冗談抜きに、自分の人生の幕はそろそろよ、というマクラから話すことが多かった。
わかっていたんだろう。それが老いであり。人生が旅に例えられる所以なのかもしれない。

旅の終わりはどこか、それは自分の家に帰ってくる時だ。
帰りの汽車で旅の思い出が浮かんでは消え、近づいてくるいつもの景色に
懐かしさと寂しさを覚える。一人旅ならそれもよし。二人旅ならお土産と一緒に、
気まずい空気も持ち帰ることになることもあるかもしれない。
けれど自宅に着いて、荷物を下ろした時感ずるのは安心だろう。
家があるから旅がある、旅があるから家があるとも言える。
結局は全て陰陽のように一体なのだ。
祖母は他界した。他界したからこそ祖母の生きた道が見えてくる。
死を思うから生が際立つ、生に固執するものは死にとり憑かれている。
そんなことを思うのだ。

祖母は旅立った。
きっと祖母には、少し先に帰宅していた祖父が見えただろう。
重かったカバンを下ろすのを手伝う祖父に、旅先の思い出を語り出す。
そんなあの世に帰宅したんだと思う。
人生の幕が下りた、幕の向こう側を覗くのは無粋である。
その人生に拍手を贈るのが、観てる側のできることだ。
そんなこんなで通夜にでも行くか。

ばあさま、俺は40になりそうだけど
まだ親戚の集まりが嫌いです。笑ってくださいや。

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