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2020年05月28日09:54

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5月28日(木) #2038 「批判」ではなく「要望」

おはようございます。木下藤吉郎です。


今から40年前の1980年(昭和55年)の今日、ロッテオリオンズ(現 千葉ロッテマリーンズ)の張本 勲(はりもと いさお)選手が、通算3000本目の安打を本塁打(ホームラン)で達成しました。

■【5月28日】1980年(昭55) 張本勲、前人未到の3000本安打達成― スポニチ Sponichi Annex 野球
https://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/professional_bbd0805/kiji/K20080519Z00002600.html


また、1889年(明治22年)の今日は、元帝国議会衆議院議員で、生物学者の、山本宣治(やまもと せんじ)さんの生まれた日です。

■宇治山宣会
https://ha2.seikyou.ne.jp/home/yamashiro/yamasen/
























5月28日 木曜日

先日、とある民放テレビでの放送内での発言、言動をめぐってSNS内で「誹謗(ひぼう)中傷」の投稿が多発し、話題の的となっていたプロレスラーの方が自殺と見られる急死に至っていた事が分かりました。これを機に、SNS内における発言の取締りを強化すべきとの声が上がっています。

人を傷つける言葉を書くことについて取り締まる事は半ば当たり前の事であるようにも思いますが、わざわざそれを法律化しないといけないほど、いまの日本人は情けない民族に落ちぶれてしまったのだろうかと、呆れ驚くとともに強い危機感を覚えます。

また、取締の強化はエスカレートすると、かつてのナチスドイツがそうであったように、敵を作って国民を分断し、内部紛争からついには海外を相手にする戦争に至ってしまう危険性さえ孕んでいるように、私は思うのです。なぜならば、そうした「空気」は「人が人を信じられなくなる」方向へ拍車をかけてしまうからです。言ってしまえば、誰もが「走れメロス」の「暴君ディオニス」のようになってしまうのです。

「政権批判は誹謗中傷ではない」という言葉が出て来ており、私もそれにおいて「一理ある」とは思うものの、一方でやはり「言葉の選び方」には注意しなければいけないようにも思います。なぜならば、政権への批判は本来、国民の希望を政府に訴える行為ゆえのものであり、「要望」が根本であるべき筈だからです。

すなわち、私たちにとってよくない法案を可決しようとしている動きに対しても、ただそれを廃案にするべきと言うのも一つですが、今で言えば「コロナ対策、医療機関の充実が先だろ!」「日本は欧米に比べたらいいかもしれないが、東アジアの中では最低だと聞いた。満足してる場合か!」といった形で投稿するのが望ましいと言えるのではないでしょうか。間違っても「安倍は辞めろ」と投稿しただけで自己満足にひたっているようではいけないと私は思います。ましてや「死ね」や「殺すぞ」といった言葉は、誰が相手であろうとも決して投じてはならないでしょう。たとえその相手が、政治の上で敵対関係の者であったとしても、です。

政権批判は「要望」であり、ただの批判ではなく、ましてや「誹謗中傷」であっては決してならないのです。
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