砂子義一 カーレーサー
1964年日本グランプリに出場。
前年の第一回日本グランプリでプリンス自動車は惨敗。社長から「次は絶対勝て」の厳命が下った。
設計責任者の桜井真一郎は、自社のファミリーセダンのスカイライン1500に上級車グロリアの2000ccエンジンを積むことを提案。
4気筒エンジンのスカイラインに6気筒エンジンを積むため、エンジンルーム、ホイールベースを20センチも伸ばしたスタイルはバランスを大いに欠いていた。
プリンススカイラインGT ゼッケン39砂子車
それでも当時の日本車から見ればスーパーカー。
鈴鹿サーキット最速の2分50秒を切る日本車最速のラップタイム。プリンスチームは勝利を確信したが・・・
いつの時代にも汚い盗用多。自社に勝てる車がない事を知るや、急遽ドイツからポルシェの最新スポーツカー「カレラ904GTS」を取り寄せ、自社の契約ドライバー・式場壮吉にあてがう。
ポルシェカレラ904GTS
プリンスチームは度肝を抜かれた。当時の日本車から見れば考えられないスタイルと機構。
DOHCエンジンをミッドシップに搭載。ボディはFRP(ガラス繊維樹脂)製。
全てが世界の最新テクノロジー満載車。
対してスカイラインはただ平凡な乗用車にでかいエンジンを載せただけの車。
同じなのはタイヤが4つ付いてる事だけ。
世界最強ポルシェvs弱小プリンス。勝敗は見えていた。
レースはスタートからポルシェがリード。650キロの車重に180馬力。
対するスカイラインは車重1トンにせいぜい150馬力なのだから当然。
スカイランは二番手。ドライバーは生沢徹。
しかしレースは展開次第。相手がある事。何があるかわからない。
ヘアピンで前を行く周回遅れを抜くのにあたふたしていたポルシェを、何とスカイラインが抜いたのだ!
「スカイラインがトップを奪いました!」
このアナウンスに観客は総立ちとなった。
世界のポルシェを従え走るスカイラインGTの雄姿に観客は騒然となった。
この時、ポルシェ式場とスカイラン生沢が「頼むから一周前を走らせてくれ」「そんな事は出来ないよ。でももし僕を抜けたら一周前を走らせてやるよ」のお茶のみ話をしていた。
実はこの二人は仲のいい友達だったのだ。
だから次の周で生沢がポルシェに抜かれると、もうチャージしなかった。
しかしそんな事を知らない砂子は「お前がポルシェを追いかけられないなら俺が行く!どけ!」とばかりに煽り、ぶつけた。
砂子は生沢を抜き、本気でポルシェを追いかけたが・・・性能の差はいかんともしがたく2位に終わる。
しかし観客は敗けたスカイラインに大絶賛の拍手を送り、逆に勝った式場には「来年は日本車に乗れ!」の罵声が浴びせられ、翌日の新聞に「泣くなスカイライン。鈴鹿の華」の見出しが躍った。
2020年1月3日、日本人を感動の渦に巻き込んだ伝説の男がひっそりとこの世を去った。
享年87
この事を知る日本人は少ない。
■【訃報】“無冠の帝王”と呼ばれたスターリング・モス卿が逝去。享年90
(AUTOSPORT web - 04月12日 20:51)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=186&from=diary&id=6044405
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