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2020年04月13日14:33

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【昨年の法改正】生前贈与で相続分が減るって本当?!

新型ウイルスのせいで不要不急の外出しないよう気を付けているせいで
息が詰まりますが、大丈夫でしょうか?露木行政書士事務所・露木幸彦と申します。


ここから本題です。

育也さんの実家はF1マシンの部品を製造している工場。
父親が信用金庫から2,000万円の融資を受け、実家の土地、建物には抵当権が設定されていることが発覚。

過去1年間、ほとんど返済しておらず、延滞額が積み上がり、このままでは実家を売却せざるを得ません。

そこで育也さんは育也さんは2,000万円の借金を肩代わりする代わりに
実家の土地建物の権利を得ることで事なきを得たのです。

とはいえ工場は閉鎖し、父親は仕事を失い、自宅に引きこもるように。
失意のなか父親は命を落としたのですが、ついに相続をめぐって兄との闘いが避けられない状況に。
今回はその続きからです。

<家族構成と登場人物、属性(すべて仮名)。年齢は相談時>
鈴木拓也(42歳。一蔵の長男)町工場経営。独身
鈴木育也(40歳。一蔵の次男)会社役員。妻子あり ☆相談者
鈴木一蔵(享年76歳)町工場経営
鈴木節子(74歳。一蔵の妻)専従者

育也さんが不在中、兄が自宅を訪ねてきて、妻に5万円の現金を渡したそう。
育也さんは妻が受け取った5万円入りの封筒が何なのかを
聞き出すべく兄に電話をかけたそうです。

育也さんは「5年前、兄さんがなんで何も言ってくれないんだろう。
残念に思ったのは確かだよ。でも僕にとっては過去の出来事。
今さら兄さんに何かして欲しいと思わないし、兄さんが僕に何かしてあげたいと
思っているんなら気持ちだけで十分だよ」と言い、いったん受け取った5万円を返そうとしたのですが、
残念ながら5万円は「兄の気持ち」ではありませんでした。

兄は取引を持ち掛けてきたのです。「少しずつ返すから、名義を戻して欲しい」と。
これはどういうことでしょうか?

兄は5年間、実家の名義が父親から育也さんへ移ったことを知らなかったのですが、
いざ父親が亡くなり、遺産の相続が始まるタイミングで登記簿を確認したのでしょうか。

自宅の金庫に保管していた権利証をこっそりと見たのか、
それとも法務局へ出向いて登記簿謄本を発行したのか…

当然のように自分のものになると思っていた実家の権利が弟(育也さん)が
先んじて手に入れたことを初めて知り、居ても立ってもいられず、
育也さんの家を訪ねたのです。

現在、弟名義の家に兄が住んでいる状況。育也さんと兄の関係は可も不可もない、
ごく普通の兄弟でした。特にプライベートの付き合いはないものの、
最低限の親戚付き合い…

盆、正月は実家で顔を合わせるし、育也さんの1人息子(9歳)の出産や入園、
入学の節には祝い金を渡してくれ、返礼品を返すという細々とした関係は維持していました。

兄は実家の権利を持っていないので居住権が曖昧な状況で住んでいる状況です。
もし育也さんに「出て行って欲しい」と言われた場合、そのまま居座ることは難しく、
退去せざるを得ません。

「追い出されると困る!」と焦りに焦った結果、行ったのが
突然、現金を渡しに来るという所業だったようです。

しかし、育也さんは兄を追い出すつもりはなく、育也さん名義のままでも、
兄が住むことを承諾するつもりだったので兄の心配は杞憂に終わった格好。

育也さんが立て替えた父親の借金は2,000万円。兄が毎月5万円を返済し続けても
34年かかるので気が遠くなります。

兄は現在、42歳。完済時には76歳なので本当に欠かさず、返済できるのかどうかも疑問です。
「月5万円ずつ返済する代わりに所有権を譲渡する」という兄の提案はあまり現実的ではありません。

そこで育也さんは「名義のことは借金を返済するために仕方がなかったんだ。
もう終わったことだから(お金を返さなくて)いいよ。
別に兄さんに立ち退いてもらうつもりはないし、今まで通りでいいよ。
お金(5万円)は1回忌のときに返せばいいかな」と大人の対応をし、
事態は収束するかに思えたのですが、兄は引き下がらずに反撃してきたのです。

「そうか、お前の考えは分かった!!名義をそのままにするんなら、
その分、金で払えよな!!」

兄は電話口で突然、語気を強めたのですが、どういう意味なのでしょうか?
父親は融資の返済に明け暮れたため、実家の土地、建物以外にめぼしい財産はありません。

残念ながら、父親の工場は法人成りしておらず、自営業なので退職金は
存在しません。

5年前の事件以降、年金だけを頼りに暮らしていたのですが、
父親、母親はどちらも国民年金なので日々の生活で精一杯。

年金の余りを貯金する余裕はありませんでした。父親の遺産を相続することが
法律で認められているのは(法定相続人)母親、兄、そして育也さんです。

そして父親はこれといった遺言を残さなかったので、3人は法定相続の割合で
遺産を分け合います。今回の場合、母親が2分の1、兄と育也さんが4分の1ずつです。
どんな状況でも最低限、手に入れることができる相続分のことを遺留分といいます。
今回の場合、兄の遺留分は8分の1です。

つまり、兄は育也さんが余計なことをしたせいで自分が法定相続分を失ったと
言っているのです。

実家の土地、建物が父親名義のままなら、兄は4分の1の権利を得ることができたというわけ。
5年前の事件によって兄が相続する財産はなくなってしまったけれど、
それなら遺留分の8分の1を現金で払えという主張です。兄の言い分は本当に正しいのでしょうか?

被相続人(父親)が生きているうちに、特定の相続人に対して財産を
分け与えることを生前贈与といいます。確かに実家の土地、建物は生前贈与に該当するでしょう。

この場合、贈与されたのは生前だけれど、「相続した」と解釈します
(平成10年3月24日、最高裁判決)。

しかし、育也さんの法定相続分は全体の4分の1に過ぎません。
父親の財産は実家の土地、建物だけなので、明らかに「もらいすぎ」です。
生前贈与によって遺留分を得ることができない状況になった場合、
特定の相続人に対して遺留分を金銭で支払うよう求めることが認められています
(民法1046条。2019年7月に新設された遺留分侵害額請求権)。

兄はこれらのことを踏まえた上で罵声を浴びせてきたのですが、
育也さんは兄に対して相応のお金を払わなければならないのでしょうか?

育也さんは実家の土地、建物を無償でもらったわけではありません。
2,000万円の借金を返済することと引き換えに手に入れたのです。
当時、実家の土地、建物の固定資産税評価額はわずか800万円でした。

母屋は築40年、工場は築35年を経過しており、建物の価値は100万円以下。
土地は300平方メートルを超えていますが、最寄の駅から車で35分もかかる辺鄙な片田舎。
土地の評価額は700万円に過ぎなかったそうです。

つまり、育也さんは800万円の物件を2,000万円で買い取った形になり、
大赤字を強いられたのです。

生前に贈与されたのは負の財産。仮に借金が残ったまま、
父親が亡くなり、遺産相続が発生したら、兄は4分の1の所有権を得る代わりに、
500万円の借金を押し付けられる結果になったでしょう。

このように考えると生前贈与によって兄が遺留分を失ったわけではなく、
むしろ借金を背負わずに済んだのだから、むしろ育也さんに感謝すべきでしょう。

「兄さんは保証人でもないし、兄さんが僕に返済する必要はないし、
僕も兄さんに請求するつもりはないよ。今の話は聞かなかったことにする。
お袋も気落ちしているから、あんまり波風を立てないでくれるかな?
もちろん、これまで通り、(実家に)住んでいていいから」

そんなふうに育也さんは冷静を装い、電話口の兄を説得しにかかったのですが、
兄は「5年前はお前が勝手にやったことだろ?絶対に許さないからな!!」と
捨て台詞を吐くと、一方的に電話を切ってしまったそう。

育也さんは翌月、実家を訪ねると母親に例の5万円を託し、
「兄さんに渡しておいてくれ」と言付けを残したのですが、
母親は思わぬ反応をしたのです。

「私も老い先が長くないから」と前置きした上で衝撃の事実を耳打ちしてきたそう。

育也さんはてっきり兄が工場の跡継ぎで『あの事件』が起こるまで
父親と二人三脚で切り盛りしてきたのだと思い込んでいました。

しかし、母親によると兄の正体は全く逆。工場の仕事はほとんど手伝わず、
昼間は自室でパソコンの画面とにらめっこ。デイトレード、FX,そして仮想通貨。

その時々の流行りものに手を出すのですが、すでに流行遅れのタイミングなので
儲けが出ないどころか損失のオンパレート。株式は値下がりで含み損を抱え、
FXは信用取引で損失を拡大させ、挙句の果てには仮想通貨の事業主が経営破綻し、
通貨は紙ペラを化したのです。

手持ちの資金を溶かした罪悪感を忘れたかったのか…16時30分のチャイムが鳴ると、
駅前の飲み屋に繰り出し、浴びるほど酒を飲んで、泥酔して帰宅するという日々。

毎晩の飲み代もカードローンでまかなうので借金返済のために借金をする…
自転車操業を繰り返したのですが、少々でも返済しないとローンの枠が増えません。

そのたびに兄は父親に泣きつき、金をせびり、遊ぶ金を入手するのですが、
父親も資金が尽きてしまい…途中からは「運転資金」と嘘をつき、
信金から融資を受け、融資金を兄に渡すという繰り返しに。

とはいえ信金の融資は打出の小鎚ではなく、自宅を担保に入れても限界があります。



融資額がついに2,000万円に達した時点で白旗を上げたというのが5年前の真相だったのです。

工場の売上は堅調だったので兄の尻ぬぐいをしなければ、
F1部品の製造を続けることができたはず。思いがけぬ形で兄の鬼畜のごとき悪行を
聞かされ、育也さんは実家から自宅へ帰る車中で、高鳴る胸の鼓動でめまいを起こし、
震える手を押さえながらハンドルを握り、運転を続けたので、
自宅までの記憶が飛んでしまったそうですが、
だからこそ「父は兄に殺された」という言葉につながったのでしょう。

(おわり)

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