少し前の備忘録。(5月くらい?)
BCからACへ。
そう、beforeコロナからAfterコロナへ
いや、BCからACなんて聞いたら、
紀元前から、あれ、ADやないんかーいってつっこみたくなる。今日この頃。
日本ってどうなるんだろう。とか、思いながらTikTokを見ている平和ボケ日本人です。
いやぁ、それにしても日本っていう国は個人で思ったことがなかなか全体性を帯びない。
というか、社会と個人の繋がりが薄いなと感じますね。
大学生くらいまでは同世代が多かったせいか、何となく他者を動員することが出来る可能性を感じながら生きていた気がするのですが、社会人になるとめっきり減るなと。
実際に、Sealsなんかはそんな同世代の持つ独特の繋がりを利用してああいったムーブメントを起こしていた気がする。
個人的には芸能人のファンとかがそれに近い類の熱を帯びているのかと感じたけど、最近のTwitterなんかをみていると芸能人が社会のことに口を出すと賛否両論と言うよりは叩かれる方に目が言ってしまう。
そして、何よりも人を動員するまでに至らない。
そういう意味では世代的にも、都心居住っていう地理的な意味でもコミュニティとか人との繋がりと言うのは能動的でないと生まれない。
たまに、ある意味で選択的であり、少し味気ない気がする。
極端に言えば、合わないやつはいらないです。と、切りやすい世界観が最近は多数なのかもしれない。
この世界観だと、とにかく大事なのは自己主張で、とにかく「私が〜」っていうのが大事になってきて、誰かが言っていたとか、誰々を気にして、なんていう表現は意味が無く、逆に中身が「君は一体なにをしたいのか?」といった具合になってしまうのである。
あくまでも、極端に言うとだが。
最近、youtubeをはじめとするSNSを見ているとある種のねずみ講的な人たちが未だに多くのファンを集め、コミュニティを形成しているのは、この選択的なコミュニティに対する反動というか、ある種の祝祭的興奮状態に陥ることで孤独感から逃げているのかもしれない。
例があんまりよくなかったが、フロムの「愛するということ」なんかを読むとオタクコミュニティとか歌手のファンクラブなんかも基本的には本能的にそういった孤独から逃れようとしているように感じる。
ここで、面白いのは先ほどの選択的なコミュニティ論者というか推進派の人とある種の祝祭的興奮状態を求める人と言うのが一致する場合が多いように感じる。
選択的なコミュニティを重視する人ほど得も言えない孤独を感じているのだと思う。
彼らはその孤独から逃れるためにも、より排他的に居ようとするのではないか。
そのように仮定した場合、集団としての人間はどのような存在になるのだろうか。
Twitter内でFan同士が争ったり、誹謗中傷を行ったりするのを見ていると心が痛くなる。
とは言え、多様性の社会と言うのは目前にまで迫っていて、今更その社会に到来するななんてことは言えない。日本古来の察し合いと多様化社会における対話にはズレがあり、同時に成立することは難しい。
ともすれば、これからの社会では対話を重視した社会がやってくる。
対話とは何か。
私は平田オリザの「わかりあえないことから」にある定義がしっくりくる。
「会話」=価値観や社会習慣なども近しい者同士のおしゃべり。
「対話」=あまり親しくない人同士の価値観や情報の交換。あるいは親しいもの同士でも、価値観が異なるときにおこるその摺り合わせのこと。
恐らく、今までの日本人は会話と喧嘩の社会であった。しかし、これからは今まで喧嘩に依存していた、対話なるものを冷静に行っていかなければならない。
先の例に挙げた選択的なコミュニティ論者と話していると、喧嘩をしているのではないか。と周りから勘違いをされることがあるのだが、その現象についてはここで説明できるように感じる。
最近の若い世代は喧嘩をしないというおじさま(もはや私もおじさんだが、、、)達は恐らく、この会話から対話へ移行したコミュニケーションの変遷に気づいていないのであろう。
・・・あとがき・・・
8月15日終戦記念日に合わせて今週は戦争について少し勉強しようと思い、ジャーナリストのむのたけじさんへのインタビューを読んでみた。
その名も、
<戦争絶滅へ、人間復活へ―九三歳・ジャーナリストの発言 >(岩波新書)
なんとも壮大なテーマな訳だが、後半は今の若者(多分、今の20代半ば)の子たちを見て、彼らは人の違いを知っていて、それを乗り越えて仲良くなる生き方を身につけていけそうだ。リアリスト(現実主義者)が非常に多い。
そして彼らは対等にむの氏と話すのである。
そこに、将来への希望のようなものを感じていらっしゃるようだった。
とにもかくにも一日も早く平和な世の中が戻ってきてほしいものですね。
それじゃ
Adios!!Amigo!!
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