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2019年12月28日09:55

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iridescent clouds

インスタをご覧の方はすでにご存じかと思いますが、かねてより前立腺がん・糖尿病等を闘病していた父(81)が、23日日付が変わった頃に亡くなりました。

これまたご存じの方もいらっしゃいますが、ウチの親父はかなり強烈な男だったので、生涯は(多くは迷惑な)武勇伝だらけ。
家族はそれに翻弄されながらも、各々の生き方には確実に親父の影響があるんですよね。

数年前にがん告知された際には、「高齢なので進行は遅く、辛い闘病・投薬はしない方向で治療しましょう」と医者に言われていたので、それなりに覚悟は出来ていたんですが、実際に亡くなった時にどんな喪失感があるのか想像が出来ませんでした。ていうか、あるのか?

で、悲報を聞いたのが深夜の1時くらいだったので、オレと同じく東京で暮らしている妹(二女)と連絡を取りあいつつ、始発の便で帰省しまして、通夜・葬儀・事務的な手続き等を出来る限りやってから、26日に東京へ戻りました。(二女は年明け5日あたりまで母と過ごすそうな)

これまでに親族・友人・お世話になった方など、それなりに多くの葬儀を経験してるんですが、それぞれに自分にとっての「死」と向き合う瞬間や残された人への共感もあったりして、琴線に触れる事はあったんですが・・・父の意外なほど無い。

これは決して父が嫌いだったとかでは無く、強烈に乱暴で優しかった父が徐々に弱っていき、母や妹(地元にいる長女)の世話にならざるを得なくなって、この年を明けたあたりからはプロによる介護が必須だと兄妹で話し合っていたくらいでして・・・。
本人が一番辛いんですけど、周囲もそれに対応するべく覚悟していたんです。
それに、亡くなる2日前に電話した時にも普通に会話していたくらいしっかりしていたため、「え??」ってタイミングだったんですよね。

世間的にはクリスマスイブに通夜、クリスマスに葬儀だったので、ケーキも食ってませんし、親族たちも師走の中で出席するのは大変だったと思いますが、皆さんにとっても強烈な存在だったため、想像以上の人数が駆けつけてくれました。

オレが4歳の頃に親父が(2番目の母と)離婚した際に、当時1歳だった弟の親権は母になったんですが、彼が高校生になる頃に戸籍を見て会いに来てくれたので、その後は連絡を取りあっていたんですけど、早い段階で「お互いの冠婚葬祭には出られないと思っておこう」なんて話してたんですよね。
父の病状に関しても連絡はしていたので、亡くなった時にも伝え「ウチの親戚だらけだけど、最後に親父の顔を見に通夜に来る?」と言ったら、即答で来る事になりました。

離婚して弟を連れて行ったくらいなので、ウチの親族には彼の母を良く思っていない人も多かったと思うし、なにより親父の兄弟も高齢なので、せっかく出席してくれた弟に嫌な思いはさせられないと考え、おれから直接個別にこの件を話したところ・・・。
これまた意外なほど感動的な事だととらえてくれまして、弟が葬儀会場へ来て親族それぞれに紹介するたびに、「あなたには罪は無い。兄さん(親父)のせいで苦労させたね」などと涙を浮かべる現象になりまして、最後に弟も集合写真に参加。

なんだかんだで親父のドラマは、かなり上出来なエンディングで幕を下ろしたのです。
今はそれだけで良かったな〜と思っているのでした。

iridescent clouds:瑞雲(ずいうん): 仏教などで、めでたい兆しとして出現する紫色や五色の珍しい雲
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