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2019年10月25日00:01

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Joker

ジョーカー鑑賞。
*多少のネタバレあり

主人公のアーサー(後のジョーカー)は
時折、笑いを堪えられなくなる精神疾患の持ち主。
ピエロで生計を立てつつコメディアンを目指していた。

しかしゴッサム市は財政破綻寸前で社会保障予算はカット。
アーサーはまず「社会」に見捨てられる。
追い打ちをかけるように、次は勤めていたピエロ派遣会社を
クビになり、終いには母親のとある秘密を知ってしまい
理性を保っていた最後の糸がプツンと切れる。

アーサーが初めて殺人を犯した相手は
上流階級の証券マンだった。銃で相手を打った後、
憔悴しつつトイレに駆け込みながらも、そこで彼は
後の「ジョーカー」を彷彿する死のダンスを踊る。

アーサーの立場を通して、この映画では貧富の格差や
憎悪の発露、社会の混乱が描かれる。
アーサーがピエロ姿で殺人を犯した結果、彼と同じような
社会落伍者や「持たざる者」達が彼を模して
ピエロの化粧で市政府の前でデモを行う。
それはやがて大きなムーブメントとなって行く。

そしてアーサーは生放送のテレビである事件を起こす。
自分の不遇を叫び、社会に見捨てられた人間の
惨めな実態をカメラの前で咆哮する。
それは市政府に集まった「持たざるもの」達にとっては
代弁者の登場であり、彼らのルサンチマンが具現化した
アイコンの誕生でもあった。そんな彼らの前でアーサーは
自らの血化粧でもって死のピエロの姿となる。
こうして「ジョーカー」が生まれた。

映画では障碍者をネタにしたジョークが散りばめられ
アーサーはどこでもタバコを吸う。1980年代の、
まだ白人の支配層がアメリカに君臨する時代で発生した
架空の社会事変が描かれている。

翻って現代。
ポリティカル・コレクトネスが蔓延り、貧富の差が広がり、
そうしたホワイトプアの鬱屈した怨嗟と、
サイレント・マジョリティのアイコンとして
「トランプ大統領」が生まれたのだとしたら
この作品は現代アメリカ社会への風刺でもあり
警告としても捉えられる。

映画の終わり方は(ネタバレなので詳細は省くけど)
この作品が架空と現実、虚実の入り混じった
空想的な現代社会へのアンチテーゼである事を示唆するが
同時に、この世界が妄想の産物かどうかと言うのは
個としては紙一重である事を描いているように思えた。

アーサーは過去のトラウマから、悲しい時に笑ってしまう。
しかし嬉しい時に泣くのかと言うと、「嬉しい時」がない。
そんな彼を、母親は皮肉にも「ハッピー」と呼ぶ。

貴方は普段どんな顔をしているか?
その笑顔は本当の笑顔か?悲しい時に泣けているか?
生きている中で、私たち自身も色んな「仮面」を被っている。
実存としての個、社会的存在としての個、
これらをどう捉えるかは貴方次第、と訴えかけるような
そんなエンディングだった。

バットマン、今から観ようかな・・・
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