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2019年11月05日22:47

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高梨選手へのバッシングや反バッシングではない視点で考えてみる。

■ダルビッシュ、高梨沙羅へのメイク批判に「迷惑かけなければ個人の自由」「自分自身に一生懸命にならないか?」
(キャリコネ - 11月05日 13:10)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=5852346
高梨選手のメイクについては、ただの美容としてのメイクではなく、闘争のための化粧、ではないか?とこの数年私は思ってきた。それは自分の弱さを隠し、みずからを鼓舞するための装いなのだ。

とまで分析したのだが、ここにきてあのMattのことも頭に浮かぶ。かれの過剰なまでのメイクには、劣等感を隠すための効用があることが明らかで、それは高梨選手のメイクにも通じるかもしれない。

未開と呼ばれた部族が、闘いのまえに化粧をして、日常の自分を超えていくように、そこに呪術的といっては大袈裟だが、ギリギリの精神で生きている人だけが持つ独特の装いであるのかもしれない。
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