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2020年04月01日12:49

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酒と銅鐸

お久しぶり。


世の中、自粛と引きこもりの推奨だらけで、一杯やらないとやってられない諸兄も多いかと思う。
そんな時はとっておきの一本の封を開け、お気に入りのタンブラーに注いでひとときの陶酔に憂さを忘れるに限る。
そういえば、このタンブラー、日本での盃の起源は意外に古いことが最近明らかになって来たそうだ。
なんと我々が見知っていたあるものが実はその盃というかタンブラーだったのだそうだ。

そのあるものとは「銅鐸(どうたく)」。

はじめて縄文時代の遺跡から発掘された時からずっと、これは宗教的な儀式か権力者の象徴であると思われてきた。
人々をまとめるため、その黄金に輝く青銅の銅鐸の神秘的で厳かな響きを使っていたと考えられてきた。

だが正直な話、銅製の鐘を鳴らして何が楽しいというのか。青銅が貴重だったとはいえ、ただの鐘の音は鐘の音。
何回か聞いてればありがたみなどすぐに慣れてしまう。
考古学者たちが最初の思い込みのために、修正されるまで長い年月を要してしまった。

日本に農耕が持ち込まれたのが縄文時代。
農耕で生活が安定すると次に生まれてくるのはどこの文明でも酒。
最近になって、銅鐸は集落のリーダーが持つ権力の象徴マイ・タンブラーだと判明したのだ。なぜ最近までわからなかったかというと、あれを器にしたとしても単独では自立しないからで、ずっと持っているか床に銅鐸が嵌まるような穴をあける必要があるからだ。
それが古今東西の古代からの酒の飲み方を研究してゆくうちに、研究者は回し飲みや甕から酒を注いで回り乾杯する風習の共通点に行き着いた。
結論として、当時の集落のリーダーたちは各々のタンブラーを首から下げ集会の場に参加し、継がれた酒は飲み干すまで下におろすことができない。つぶれるか酒がなくなるまで延々と酒宴が続く、現代でも世界中で観られる酒の飲み方だ。
同時に長い間鐘の『舌』だと勘違いさせられてきた銅鐸と一緒に出土した細長い棒状の金属片の正体も分かった。
あれはろくな濾過技術がなかった酒の澱や滓を除けたり掻き出すためのヘラだというのだ。
銅鐸の周囲に張り出した「へり」の正体も分かった。
実はビールや酒を冷やして飲むという呑みかたは夏蒸し暑い日本発祥。銅製のマグやジョッキと同じように川の水や井戸水で冷やして飲んでいた。体温で温められるのを遅らせるため両側のひだを持っていたのだ。
盃の両側のひだを持って飲むという呑みかたは古代中国から伝わったと言われている。
それらから逆に、さまざまな大きさの銅鐸があることの理由も想像できる。
大ジョッキ、中ジョッキ、小ジョッキもしくは酒の席での順列。大きさの順に注いで行けば失礼が回避される。日本人ならわかる飲み会について回る順列の問題だ。
そして長い間謎だった1m以上ある銅鐸の使い方も判明した。なんということはない、あれは造り酒屋の看板の元祖だったのだ。

そんな銅鐸タンブラー社会は下戸の遺伝子を持つ弥生人の渡来によって衰退していった。
そして二世紀ごろ、突如として終焉する。
原因は男性社会から卑弥呼を代表とする社会の権力構造の女性化による禁酒令だと言われている。卑弥呼が酒乱の弟を追放したというのは、当時の酒文化のパラダイム・シフトを象徴するものだという説もある。

そして時代は流れ、昭和から平成・令和となり居酒屋も女性をターゲットにしないと成り立たなくなってきた。
われわれは再びパラダイム・シフトを体験しているのかもしれない。




という今年の一杯のジョークでした。
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