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2019年09月24日18:06

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仲代さんの件(その1)

志村喬さんが逝き勝新が逝き、渥美さんはじめ日本の名優が逝かれた。杉村春子先生(※)に山田五十鈴さん、沢村貞子さんに植木等さん、希林さんも。
※杉村さんは、まさに「先生」である。だってあの人、全く「演技」をしていないもん。

健さんと文太さんも鬼籍に入られ・・・残っているのは映画俳優なら石倉三郎さん、舞台と映像なら石橋蓮司さんくらいではないか。
※もちろん吉永さんや大竹しのぶさんはじめ、山崎努さんたちもいる。大竹さんは、はあ、舞台もやってらっしゃるが、かつて「マクベス」(近鉄劇場、2002年ごろ)を見た者として言わせていただくと、大竹さんは、やはり映像の俳優さんである。

そんな中、仲代達矢さんは今なお燦然と輝く。
自分の初見は、もちろん黒澤作品。「用心棒」(1961)じゃなかったか。

この翌年の正月に、私は生まれた。まるでそれを祝福するかのように封切られたのが、スピルバーグやルーカスも真っ青の、ジェットコースター・ムービー。クソ面白いって。
■用心棒と椿三十郎(1962)の予告編 、続けて、どぞ。https://youtu.be/vVEa5sjBEFI



「椿三十郎」は、たかだか1時間ちょっとの作品。でも豊穣とはこの事で、息もつかせない。入江たか子さんの奥方、団玲子さんの姫(正義感に燃える青年将校たちのリーダー・加山雄三さんの許嫁役)、そして敵方ながら人質にされた小林桂樹さんの洒脱な可笑しさは、今こそ有効。伊藤雄之助さん勿論。
「用心棒」の元ネタはダシール・ハメット。そして「椿三十郎」の原作は山本周五郎だ。

60年代初頭、当時日本は絶賛高度経済成長中であった。しかし用心棒で三船さん演じる貧乏浪人の三十郎は「俺を買わんか。腕は保証する」。
そんな台詞が、まだリアルで有効だった。

封切られて40年後の2002年ごろ、自分は父(昭和3年生まれ)に訊いてみた。

「戦時中や戦後すぐの頃と、今と、どっちが仕事なかった?」

父はちょっぴり首を傾げたあと、こう答えた。「昔の方かな」。
俺はその02年ごろ、食い詰めて実家にパラサイトしていた。いい大学を出ていい会社に入り、一身に奉公したのち病を得、会社を辞め、フリーでライターをやっていたが、とても食えなかった。そして世はまさに就職氷河期。若い子たちは学校を出ても、なかなかに就職できなかった。
※過日書いたが、当時大阪の物書き学校で若い人たちと邂逅したのは、そんなことを含め、自分の財産になった。

父の言は、三船さんの件の台詞を裏付けた。だって皆さん、戦争を経験しているから。
母(昭和6年生まれ)曰く「戦争とは、すなわち腹が減ってたまらないことである。子供には二度と、あんな思いをさせたくない。その一心で生きて来た」。そんなリアルが俳優さんたちの骨身に沁みていたので、説得力が増し増し・盛り盛り。

話が逸れました。仲代さん@椿三十郎といえば、このシーン。
■キューバ国立映画博物館が保存しておる、映画のあのシーン。https://youtu.be/5gEYlVmclrU



本作のエンディングは、もうちょっとあって・・それこそ感動的なのだが。
とまれ仲代さんが演じた60年代の映画は、超大作「人間の條件」(原作は五味川純平)など沢山あった。なかでも好きなのが、小林正樹監督の「切腹」(1962)。

時は寛永、三代家光公の御代。
徳川幕府は関ヶ原以前も以降も功あった大名の取り潰し政策を開始。これ自体は戦時経済(秀吉師匠の朝鮮征伐や、関ヶ原、大阪の陣など)から平時経済へ転換を図るものであったが、やられた方はたまらない。
福島正則の広島藩も、「城の補強の届けを幕府に出していなかった」と因縁をつけられ改易される。実はルールに従い、ちゃんと届けを出していたのだが、握り潰されて。
福島家の家臣・津雲半四郎(仲代達矢)は、しかして自動的に浪人。仕方がないから江戸に行く。
半四郎には娘がある。名は美保(岩下志麻)。傘貼りなどしつつ、食うや食わずの極貧生活ながら、父娘仲良く暮らしておる。

江戸では、ゆすりたかりが流行っていた。浪人たちが就職難ゆえ、名のある大名や旗本家の門前にいきなり現れ大音声で呼ばわる。
「拙者は元××家の何某である。雇ってください。
もし雇ってくれなきゃ、門前をお借りし、ここで腹を切ります」

今の大企業もそうだが、当時の名門も他聞を憚り恐れる。なので諸家は彼を門内に導き幾ばくかの金を与え、丁重にお引き取り頂く。これが浪人間で流行った。
そんなある日、津雲半四郎が井伊邸に現れる。井伊家の家老・斎藤勘解由(三國連太郎)は連中の手口を知悉、よその家中が金銭を与えたとはいえ、我が家は絶対にそんなことはしない。侍たる家の沽券(※)に関わるから、絶対に負けない。そう決意し、敢えて半四郎を邸内に引き入れ、論戦を挑む。「貴殿は何故、そういうことをするのか」。無論勘解由の心中は
「この乞食野郎」
である。

津雲半四郎たる古武士。彼は乞食、ましてたかりなどする人間ではない。いかに窮しようとも。
これには娘および娘婿にまつわる、ある事情があった・・・
※「沽券」とは家屋敷の売買に関する証券。これ即ち家の価値であるから、誠に大事であった。
つまり商人用語だが、ここではプライド的に、武士にも援用しました。
■切腹 予告編 https://youtu.be/g5gwdx5edxE



仲代さんの件、続けます。

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