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2019年06月06日14:14

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藤子・F・不二雄の偉大さ

■少年漫画のここが嫌 「主人公以外の初期メンが雑魚になる」「努力ではなく血筋エリート」
(キャリコネ - 06月06日 07:10)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=5651012

「結局遺伝子が最強ってオチ。努力だけでトップになる漫画、少なくなった」

それは読者の多くが努力を面倒臭がるからだ。
商業漫画なんだから、読者が喜ぶものを描くのが当たり前。
努力嫌いの読者の方が明らかに多いという結果が招いたこと。
それが血統であったり魔力であったり眠れる力であったりする。

で、それは少年マンガだけの事でもなく、
最近は刑事ドラマでも、生まれ持った天才的な推理力だったり暗記力だったり事故によって目覚めた超感覚だったり。
ともかく「走り回って泥臭く努力する」は薄い。
世間全体の風潮でもある。


「女子が全員主人公に惚れている」

モテる努力をしたくない。全て自分に都合よく展開してくれないと癇癪を起す。
そういう読者が多いから、編集部はそういう漫画を用意する。

「少年漫画のここが嫌」ってのは、全て読者が望んだもの。



「藤子・F・不二雄の偉大さ」

藤子・F・不二雄は偉大である。
漫画の方向性を根本から変えた。
そこから社会そのものを変えた。
それまでの漫画、手塚治虫、石ノ森章太郎、永井豪、横山光輝、松本零士、ジョージ秋山…彼らの作品は全て「上」を向いていた。
困難を乗り越え、試練に打ち勝ち、人生に悩みぬき、立派な大人になるように、子供の憧れの存在になるように描かれていた。
読者の目線は上を向いていた。

そこに現れた天才が藤子・F・不二雄。
もう少し正確に言うと、藤子・F・不二雄のドラえもんがTVに変換される時、画期的な変化が起こる。
藤子・F・不二雄は「下」を見た。
困難を乗り越えるのではなく抜け穴を使いズルを唆す、
試練は打ち克つのではなく誰かに丸投げする。
この卑怯さこそが読者・視聴者の待ち焦がれていたもの。
ここから読者の心に潜んでいた他力本願や無責任や自己中心的思考が一気に解放されていく。
答えから言うと、約30年にわたる平成という日本の暗黒期はここに原因がある。
藤子・F・不二雄は「下」を向くという事を提示した革命家でもある。

ドラえもんに始まる他力本願や「主人公は何もしなくてもモテモテ」は、
高橋留美子やあだち充によって更に発展し、
深夜のハーレムアニメや恋愛ゲームなどに受け継がれて現在に至る。
努力も何もしない。面倒ごとは誰かが片付けてくれる。
その堕落が何十年にも人々の心に蓄積した結果、日本の産業は低迷し、中韓に脅かされ、学力は落ち、その事実を受け止められずに癇癪を起して右傾化する。


漫画やゲームの中では、主人公は何もしなくてもモテモテ。
それを読者・プレイヤーが望むから。
だが現実の女性はそう都合よく自分を好きになってはくれない。
なら二次元の世界に没頭する方がイイや。

少子化の本当の原因はコレ。
「女は社会進出するな」「夫婦別姓など許さん」「女系天皇反対」「ベビーカーを電車に乗せるな」
現実の女性への憎悪や敵意の源流を辿って行くと、そこに居るのが藤子・F・不二雄。

「日本は皇室の歴史が最も古いから日本人は世界一偉い」
「日本は世界中から敬われ愛されている」…だから俺は偉い! なんてのも、とことんズルが染みついた藤子・F・不二雄に端を発する思考パターン。



世界各地でドラえもんが放送出来ない国や放送に漕ぎつけるまで相当の時間を要した国が多々あるのは、そういう危険性を警戒していたから(宗教的理由などもあるが)。

藤子・F・不二雄は偉大過ぎた。
負の意味で。
余りに影響が大き過ぎた。

しかし藤子・F・不二雄を貶そうと言うのが目的ではなく。
今の世間をもうちょっと良くしたいと思うなら、藤子・F・不二雄的なものを根本から排除していく必要がある、という事。

余談だが、
テレ朝はネトウヨに目の敵にされるのに、
実はネトウヨの生みの親はテレ朝である皮肉。

藤子・F・不二雄はとてつもなく偉大である。

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