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2019年04月20日09:38

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日本が救われたのは朝鮮人のおかげ

東郷重徳

開戦時および敗戦時の外務大臣。
一貫して「戦争より外交」を主張、東條内閣で一旦辞任、しかし請われて鈴木内閣で再び外相に就任。

祖先は豊臣秀吉の朝鮮出兵時、強制連行された朝鮮人。

ポツダム宣言が出された時、これを受諾すべしと主張。
しかし軍部および内閣はこれを拒絶、そのために広島と長崎に原爆が投下された。

昭和20年8月14日の御前会議で、陸軍大臣・阿南惟幾は徹底抗戦を主張して東郷と真っ向対決。

しかし昭和天皇の「私は、外務大臣の意見に賛成である」の一言で受諾が決まった。

一貫して戦争回避に尽力したにも関わらず、「真珠湾のだまし討ちの責任者」として東京裁判でA級戦犯となり禁固20年を言い渡された。昭和25年、無念の獄死。

この朝鮮人がいなければ、日本国民は総玉砕して滅亡していただろう。


■戦後抹消命じられた「戦争ごっこ」 80年前の映像記録
(朝日新聞デジタル - 04月19日 11:52)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5587815
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