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2019年02月19日18:31

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赤い花と白い花――『どろろ』第5・6話「守小唄の巻」

『どろろ』『三つ目がとおる』手塚治虫の怪奇漫画を大解剖する1冊が発売!『アラバスター』など傑作漫画も
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どろろ、三つ目がとおるのムックに赤塚・藤子F・つのだが描くどろろパロディ
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 『どろろ』が再アニメ化されたおかげで、こんな貴重なムック本までが出版。
 何が垂涎ってさ、藤子・F・不二雄さんが描く「どろろ」ですよ。怪奇マンガとなるとAさんの方じゃないの? と思われそうですが、藤本さんも安孫子さんに負けず劣らずの怪奇・妖怪ファンですからね。
 「藤子不二雄」としては、オカルト、ホラー方面はAさんに任せるっていう「住み分け」を考えて、Fさんはそちら方面のマンガはあまりたくさんは描いてはいない(『モジャ公』に「不死身のダンボコ」っていうホラーなエピソードがあるけど、最初の単行本でカットされたのはAさんっぽいと判断されたからじゃないかな)。その意味でもこれは貴重。つのだじろうが「どろろ」を描くのは当たり前すぎるかな(笑)。
 Fさんの手塚タッチの模写については、これは舌を巻くほどの巧さで、当たり前の話ではあるのだが、Fさんが手塚チルドレンであることを実感した次第。
 ついでだが、本誌収録の旧アニメ『どろろ』のキャスト表に、雲龍寺上人:北村弘一、寿光:田村錦人とあるのは、私がWikipediaに書き込んだものの写しである。第1話のキャスト表は現在散逸していて、DVDボックスにもこの二つの役を誰が演じていたのかは記載がない。でも声を聴けば確実にこのお二人だということはわかるので、書き込んでおいたが、特に訂正はなかったので、今回、公式に確定したと判断してよいと思う。ついでだが次回予告のナレーションも田村錦人さんが担当している。

 リメイク版『どろろ』の方は、2、3、4話と、旧作では前後編だった話をそれぞれ一話にまとめてしまっていて、どうしてもダイジェストな印象はぬぐえなかった。けれども、5、6話「守小唄の巻」は、逆に旧作の一話を二話に分けて、百鬼丸とみおの交情をじっくりと描いてくれた。ネットではみおが『赤い花白い花』を歌うのは時代考証的にどうなの、というツッコミもあるようだが、そんなのは些末事である。百鬼丸かどろろの子孫が代々語り伝えていたとでも解釈すればよろしい。

 そんなことよりも、原作では百鬼丸の回想としてしか語られなかった、みおたちとのエピソードが、現在進行形の物語として、どろろも含めて描かれたという衝撃の展開である。そのため、みおとかたわの戦災孤児たちは、どろろにとっても重要な意味を持つ登場人物となった。
 海外のアニメファンの反応として、今回のエピソードを視聴して「どろろって、もしかして……?」と推理している人がいたが、その通りなのである。

 みおは、もう一人のどろろだ。みおに訪れた運命は、どろろにも降りかかるかもしれない可能性としての未来の姿である。
 手塚治虫が醍醐景光を富樫政親の家臣と設定したのは、加賀一向一揆によって領主政親が自害し、その後この地が戦国時代にあっては唯一「百姓」による自治区となったからだろう。しかし、それも織田信長の全国統一の前にもろくも崩れ去ることになる。その前にどろろは死去している可能性が高いが、果たしてその生涯が幸せなものであったかどうかは、原作が未完に終わっている以上は、自分で想像するしかないことである。
 幸せであったと信じたい。けれども希望はいとも簡単に絶望に転移する。夢は夢のままで終わるから夢と呼ばれるのである。

 みおの幸せは、少し待てば実現していたかもしれない。
 でも、彼女は少しだけ焦ってしまった。
 それを責めることは誰にもできないが、原作を知らない若いファンは、前篇を観た段階では、みおの傍に、全身を取り戻した百鬼丸が微笑む姿を想像していたかもしれない。どうしてあの優しい娘がこんな目に、と激昂したかもしれない。
 でも、そんなお定まりのハッピーエンドになんてなってたまるか、というニヒリズムこそが、手塚治虫という「マンガの鬼」が生涯持ち続けた業なのである。『鉄腕アトム』では原作版でも旧アニメ版でも、アトムは悲惨な最期を遂げるのだからね。

 原作では、みおの「たつき」は、「あたしはいやらしい女の子よ」と記されるのみで、具体的なことはボカされていた。けれども、今回のアニメではその様子がしっかりと描かれている。昨今の表現規制に対するスタッフの抵抗、と評価したい。
 海外のファンは、彼女のたどった運命に、ある者は涙し、ある者は茫然とし、ある者は悲鳴を上げ、ある者は絶叫してヘッドフォンを叩きつけていた。ジャリ向けお花畑なデ〇ズ〇〇アニメに慣らされていては、作品としてのレベルを常に上昇させ、革新させてきた手塚治虫以降の日本のマンガやアニメはショック以外の何物でもないのだろう。
 我々はもっと日本のマンガ、アニメーションを誇っていい。表面的な描写のみをあげつらって、その文化的価値の大きさを理解することもできない偽善者たちのキレイゴトから、マンガやアニメを守っていかなければならないだろう。

 今の日本に戦争はない。
 けれども、みおたちと同様の運命をたどる子どもたちがいなくなったわけではない。
 捨てられる子供たち、男の道具にされる女性たち、社会から無価値のように扱われる身障者たち。
 「戦争も起きていないのに」、そうした事例が起きてしまうことが、ずっと「地獄」で「救いがない」ことなのではなかろうか。



※歌は『そらのおとしもの』EDから、早見沙織のもの。『どろろ』の水樹奈々版も出してほしい。70年代にヒットした歌だが、当時生まれた子供たちは、本当にこの歌を子守歌に聞いて育ったかもしれない。

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