茫然、愕然の言葉しかない。
彼を知ったのは多分18、手編みの本で。
その本で、「編み物なんかいいかげんなんだからてきとーに作れる」と知り、無謀にもセーター作った(自分のじゃない)
物事の本質とは何か?を、青春期に実体験として刷り込まれたもんだからして、橋本治は、知の母。ここから改めて、枕草子へ行き、古典文学へ再度誘われた。
恋愛論を熟読し、花咲く乙女のきんぴらごぼう(だったか)やら、三島評論はまだ手にしていないが、その時に手にして、知に対する指針を得ていたのに。
共同幻想論を中途半端にしか解釈できない私の唯一の師匠であった、橋本治。
まだまだ教えを、道しるべをしめして欲しかったが、絶たれたことが悔しい。
でもって、喪主が母堂というのがあまりに切ない
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