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2018年12月03日14:30

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傲慢な身障者がコミュニティを壊す

電動車いす ビール工場試飲は
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5401595身障者手帳を『水戸黄門の印籠』のように、何でも出来て誰でも土下座させられると思い込んでる身障者がゴマンと居る。私も百貨店で警備してきたが、車椅子に乗って、『特等席を用意しろ』『車で来たから駐車スペースを確保して乗り降りに警備員をつけろ』『見本市でマグロを食わせろ』『福袋で順番取りできないから予約注文させろ』と言う身障者客が1日数人は訪れる。
法のもとの平等や社会での平等なんかではなく、『身障者だから〜しろ』との傲慢さ、身障者だから社会が養う・保護するという感覚しかない。
それを認める、履行するには、社会と労力とカネを費やすことになるが、カネをタカる、介助してもらっても、身障者はアタマも欠陥品だから、感謝の気持ちもないと言われても仕方ないのだろうか?
それを負担する健常者が、経済的困窮や精神的に鬱になり、身障者という欠陥人間、つまりは本来自然界では『生きてはいけない』生き物が、生き物を滅ぼす。身障者は、昔なら隔離され、それが人権侵害であろうと、健常者の社会は守られていた。身障者を野放しにするおとで、社会のコミュニティは犯され、過度に身障者を甘やかせば、社会はサービスや財を失う。
『車椅子で歩行困難な者』は酒をタダで自由に飲み、『他の肉体に欠陥がある身障者』は酒なんか飲めないだろう。
豊島区ことの西武百貨店でも、『私は車椅子だからワイン飲ませろ』と言って断られたのを逆恨みして百貨店を訴えたカスがいる。善意でワインを広く飲ませる店に、自分がありつけなかったから、善意を逆手にカネを請求。
こんなのがゴマンといるから、社会は貧しく、閉塞感いっぱいになる。
外出させてもらえるだけでもマシだった時代の人が見ればどう思う。
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