mixiユーザー(id:20653861)

2018年12月10日12:25

3140 view

西郷隆盛を守ったニニギ尊。


西郷隆盛を官軍から守ったのはなんとニニギ尊だった。

http://nobekan.jp/rs/vol3/sp2.html

明治10年、明治政府に反旗をひるがえした士族たちの反乱「西南の役」が起こりました。同年8月、西郷隆盛率いる薩摩軍は、現在の延岡市和田越にて山縣有朋陸軍中将率いる政府軍と相対し、「和田越の決戦」と呼ばれる激戦を繰り広げました。善戦むなしく薩摩軍は北川方面へ敗走し、現在の西郷隆盛宿陣跡資料館にあたる児玉熊四郎邸に宿陣します。この児玉邸は天孫ニニギノミコト御陵墓参考地と隣り合うように存在している場所です。西郷隆盛が宿陣した民家と、天皇家の祖である天孫ニニギノミコトの御陵墓が、こんなにも近くにあったのは一体なぜでしょうか?

西郷隆盛はこの御陵墓が天孫ニニギノミコトの御陵墓であると知っていたようです。

山縣有朋率いる政府軍が、天皇家の祖先神である天孫ニニギノミコト御陵墓に向けて鉄砲や大砲を打つことはできないと知っていて、ひとときの安息を得たのです。西郷隆盛は児玉熊四郎邸で軍議を開き、軍隊に解散布告令を出しました。その後、自身の着ていた陸軍大将の軍服を焼き、可愛岳を突囲して祝子川や高千穂を抜けて九州山地を南下し、故郷の鹿児島へと帰っていきます。西郷隆盛が何とか鹿児島まで帰り着けたのは、この天孫ニニギノミコトとの「時空を超えた出会い」がもたらした奇跡にほかなりません。

なおこのニニhギ尊が祀ってある「河愛山稜」は、今から5500年ほど前にニニギ尊の孫鵜萱不合尊が富士から祖父の形見をもっていって祀ったものです。
この場所は今も宮内庁が管理してますが、その元である富士のニニギ尊の大元の「宇津峰山稜」はなんとニニギの管理下にあります。
ニニギの根性で地底物理探査でお墓を探り当てました。
その場所はなんとニニギの事務所の真下。毎日下から「早くわしを出せ」とうるさく言ってきます。
ニニギ尊お出ましの日は近いでしょう。

48 1

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する