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2018年03月30日19:49

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父の記憶

現在89歳の父は、14歳〜16歳の間、太平洋戦争の時の海軍の軍人でした。

その頃の事を昔から自分に都合よく言う事は多かったのです。しかし、決して戦争賛同することはなく、戦争は繰り返してはいけない、その為に政治家にしっかりと外交を務めてもらわねばいけない、しかし、攻めてきた時は応戦もせねばならぬ、というような人でもあります。

そんな父ですが最近は認知症もあり、先月は旅行先で行方不明となるような事もありましたが、来月、私が用事で北海道の音威子府へ行く時、当初はショートステイに預けて行く予定でしたが、同行者の友人が、お舅さんと愛犬も一緒に連れて行くというので、我が家も父と愛犬を同行することになりました。

すると、父は、時間があれば、昔、在籍した海軍航空隊で、館山⇒美幌と赴任して、美幌にいた時、次は樺太だ、と言われて、その時に視察で稚内へ行った、稚内に行った時に戦争は終盤だったのに、陸軍が航空基地を建設計画してた、あの陸軍の航空基地がどうなってるのか見てみたい、と。

そこで稚内市のHP見て、地図見て、稚内市役所に電話して聴いたけど分からない。
父の記憶も乏しくて、そうさなぁ、稚内に行った時は寒くてね〜、あぁ地元の人がホタテ焼いて食わせてくれた、そのホタテが青森のホタテより大きくて美味しくてねぇ、ってな調子。

行く先の音威子府の知人にも尋ねたけど、さぁうちも祖父ちゃんが正気の時に聴いては見るけど、うちも認知症の状態の時が多いし、稚内に陸軍の跡ってのは聴いたことないねぇ、海軍の通信所はるけどねぇ、と。

稚内の煉瓦造りの通信所は覚えてる、そこにいたんだから、と、しっかり覚えてる反面、その陸軍の航空基地は何かの情報が単に記憶としてだけ残ってるのかもしれないと思ったのです。


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