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2017年10月30日23:30

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自己責任ではあるけれど自己責任と簡単に非難できない問題

■性別変更後「元に戻したい」 同一性障害、こんな悩みも
(朝日新聞デジタル - 10月29日 21:08)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4836014

 コメント欄が殆ど性転換した男性への批判ばかりなことに驚いた。これ、単純に自己責任論で片付けていい問題だとは思えないのだけれど。

 近年、「LGBT」という言葉すっかりは浸透している印象がある。けれどもこの表現に異を唱える人たちもいる。本能としての性を、たった4つに分類できるものなのか、という批判である。
 性同一性障害は脳の構造的な問題であって、先天的なものだ。そうした認識自体は一般にも認められつつあるが、困ったことに脳みそにち◯ち◯やおま◯こが付いているわけではない。心に境界線をはっきりと引けるものではない。グラデーションのようにその境目は曖昧になっていると理解した方が適切である。虹が本当は七色と明確に分けられないのと同様だ。だからLGBTと呼ばずに「LGBTQクィア=その他)」とか「LGBTs」と呼ぶようにしよう、と提唱されているが、それがまた「その他扱いするな」と、差別的な言い方だとして批判されてしまっているのである。ことほど左様に、性を区別することは難しい。

 件の男性が、肉体的に男であったことに違和感を覚えていたことは事実であったのだろう。話の経緯は、吃音症だった男性が、LGBTの人たちと付き合うようになって、自分の本性が女性だったと気づいたという流れである。これに、吃音症と性転換とどういう繋がり、があるのかと突っ込んでいる人もいる。これは記事の書き方が下手くそなのである。
 要するに男性は元々コミュニケーション障害で、人付き合いが上手くなかった。それが、LGBTの人たちとは屈託なく会話ができたので、自分の性が本当は違っているのではないかと考えるようになったのだろう。
 というか、この段階で多分、同性の誰かを好きになっちゃったんだよ。そして恐らく、その恋は実らなかった。そういう具体的な挫折の経験がなければ、普通、性転換手術まで受けようとは思わないよ。
 当てずっぽうでモノを言いやがって、根拠はあるのかと言われそうだが、本人が性転換を決意するに当たって、心療内科を受診していろというのが重要である。診察を受けて、女性と認定されたということは、同性を好きになったかどうか、そのことは確実に聴かれている。件の男性は、「はい」と確実に答えているはずなのだ。
 けれども脳構造としての性は、男性と女性というように簡単に二分化はできない。件の男性は自分の本性は女性だと思い込んだが、男性としての自分もまたカラダの中に存在していることに無自覚だったのではないだろうか。肉体を女性に変えてようやくその事実に気づいたのだと思う。記事では「女性だと就職できない」ということを強調しているが、この問題の本質はそんな就職できるかどうかという点にあるのではない。それは付随的な事象に過ぎない。先述した通り、性というものが本質的に二分化できないものなのに、それを一方に固定化しようとしてしまうことに無理があるのである。
 男性に思慮が足りなかったと批判するのは簡単である。しかし、長年に渡って強く悩み続けていたからこそ、複数の医療機関に相談して「心は女性」どの診断を得たのだ。むしろ医療機関の方が診察に手抜かりがあったのではないかという気がしてならない。性同一性障害の診断が難しいことは分かるが、だからこそその診断には注意の上にも注意を重ねる必要がある。性転換したその先に、このような問題が生じる可能性をそれぞれの医療機関が真剣に考えて診察してのかどうか、そこに疑問がある。
 心が女性であって男性が好きになる場合もある。しかし心が男性のままで男性を好きになる場合もある。あるいは心の中に男性と女性が同時に存在していて、女性の部分が男性を好きになったり、男性の部分で男性を好きになるケースもあるのだ。こうもややこしいと、とてもLGBTのどれかに分類することなどできない。
 そうした場合、心の中で葛藤が起きる。男性を好きになる自分と、それを嫌悪する自分とに心が分裂するのだ。それが心の安定を揺るがすことになる。
 件の男性はこのパターンだったのではないかと思う。彼は自分の心の中の男性を好きになる自分を肯定するあまり、それを拒絶するもう一人の自分を潜在意識の底に隠してしまっていたのだ。実際に性転換して、ようやくそのことに気づいたのだろうが、それを事前に予測することは相当に困難である。なぜなら、心の安定のためには「もう一人の自分」を圧殺せざるを得ず、それは同時に「もう一人の自分」の覚醒の可能性の圧殺でもあったからである。
 彼は愚かだったのではない。自身の安寧を図るために、無意識のうちに未来を予測することを心がさせなかったのだ。
 「後先考えてない」ってのはその通りだけれど、ではなぜ人が後先考えない行動に出るかというと、後先考えたらどうにもできない状況に追い詰められているからだ。後になって、どうしてあんな行動に出たのだろうと自分で自分が信じられなくなるが、それは心の中の「もう一人の自分」を隠してしまっていたからなのである。
 別にLGBTでなくても、私たちは心の中に無数の自分を持っている。そして彼らは男性であったり女性であったり、男性でも女性でもない無性であったり、そしてそれらの自分たちが境目のない状態で混在しているのが「私」なのである。だから、普通に男性として、女性として生活していても、常に何らかの「違和感」を感じてあるはずなのだ。それは全ての人間の心と体が乖離しているということである。
 その解離の度合いが強くなれば、体を性転換させてでも一致を図りたいと思う心理は理解できる。しかし、その結果、違和感が払拭されるわけではないという悲しい現実を、この男性の事例は証明してくれている。そして恐らく、この男性が男性に戻れたとしても、生来の違和感が戻ってくるだけだろう。
 この男性が自身の本質的な性が女性だと思った認識が錯覚だったとは思わない。けれども実際に性転換した先に潜んでいる大きなリスク、それには気づかなかった。しかし気づかなかったことを取り上げて、本人にのみ責任を負わせてよいことでもないと思う。性同一性障害に悩む人々が、そこからどうしても逃れたいと思う心理、それを慮ることなく批判する心理の背景に、LGBTの人々への無意識の差別意識が潜んではいないか。ノーマルだとされる我々にも「違和感」は常にある。その不安を抱えたまま生きている。しかし、LGBTの人々は、一見、自身の性のあり方を、これが本当の自分と堂々と主張しているように見える。あるいは自身の心に相応しい体を勇気をもって獲得しているように見える。
 LGBTを差別する人々は、そうした彼ら彼女らのスタンスに、内心、嫉妬しているのではないか。自分の心の有り様のままに生きたい、生きようとしている人々を蔑むものではない。この男性は、残念ながらその努力の過程で失敗した。しかしそれを嗤うことは、自分もまた人生に失敗していることを暴露しているようなものである。自分の情けない人生から目を反らしたいから、他人の失敗を嘲笑するのだ。よく人が人を差別するのは、自分と違っている存在を忌避するからだと言われるが、むしろ違う存在のままで、自分たちのいる同じ土俵に上がってほしくないと考えているというのが正解に高いような気がする。その「違い」に嫉妬してしまうからだ。
 やっかみで出来上がってるような連中の呟きなど無視していればよいが、その数があまりにも多過ぎて溜め息が出るのを禁じ得ない。もうちょっと彼らの心に寄り添った意見があって然るべきだと思うんだがなあ。mixiにはもう差別書き込みをしたがる人間しか残ってないのかな。


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【全文引用】

自分は性同一性障害だと考えて戸籍上の性別を変えたが、やはり適合できず元に戻したくなった――。性別変更をする人が増えるにつれ、こんな悩みを抱える人が出てきた。再変更は現在の法律では想定されておらず、ハードルは高い。専門家からは「何らかの救済策が必要」との声も出ている。
 神奈川県茅ケ崎市の40代元男性は2006年、戸籍上の性別を女性に変えた。それをいま、強く後悔している。家裁に再変更の申し立てを繰り返すが、「訴えを認める理由がない」と退けられ続けている。
 幼い頃から吃音(きつおん)に悩んでいた。疎外感を抱いていた00年ごろ、性同一性障害の人たちと交流する機会があった。「自分たちの存在を認めないのはおかしい」と訴える姿がとてもポジティブに映った。「自分も同じ(性同一性障害)だ」と考えるようになり、03年にタイで男性器切除の手術を受けた。
 04年に一定の条件を満たせば性別変更が認められる特例法が施行されたため、心療内科を受診。十数回の診察を経て、複数の医師から性同一性障害の診断を受けた。横浜家裁に性別変更を申し立て、06年7月に変更が認められた。
 だが、すぐに後悔に襲われた。男性だった時には簡単に見つかった仕事が、女性になってからは断られ続け、性別を変えたためだと感じるようになった。弁護士に再度の性別変更を相談したが、「今の制度では難しい」と言われたという。
 ログイン前の続き現在は両親と離れて一人で暮らす。7月にようやくパン工場での仕事を見つけた。女性として就職したが、会社の理解を得て現在は男性として働く。「精神的に不安定な状態で申し立ててしまった。このまま生きるのは非常に苦痛で何とか元の性に戻りたい」と話す。
 11年に戸籍上の性別を変更した別の一人も、関西地方の家裁に今年6月、変更の取り消しを求める手続きを申し立てた。自身の判断でホルモン投与や性別適合手術を受け、戸籍の性別まで変えたが、現在は「生活の混乱の中で思い込み、突き進んでしまった」と悔やんでいるという。
 代理人を務める南和行弁護士(大阪弁護士会)は「戸籍の性別によって生活が決まる場面は多い。本人が限界だと感じているのであれば、自己責任と切って捨てるのは酷だ。取り消しを予定していなかった法の不備を、司法が救済すべきだ」と話す。
■診断の難しさも背景に
 最高裁の統計では、特例法で性別の変更が認められた人は16年までに6906人に上る。年々増え続け、ここ数年は毎年800人以上で推移する。
 一方で、同法には再変更を定めた規定がない。法務省の担当者は「法律はそもそも再変更を想定していない。日本では性別適合手術が性別変更の要件になっており、ためらいがある人はここでブレーキがかかる」と説明する。
 ただ、同省によると、いったん認めた性別の変更について、13年7月に裁判所が取り消した例が1件あるという。「当事者が自身の性を誤信し、医師の診断も誤っていた」との理由だった。
 性同一性障害の診断経験が豊富な「はりまメンタルクリニック」(東京)の針間克己医師によると、ドイツなど海外では再変更の事例があるほか、国内でも再変更の希望者を5人程度、把握しているという。「自分の性への認識が揺らいだり、別の原因で生きづらさを感じた人が『自分は性同一性障害だ』と問題をすり替えたりする事例がある」と語る。
 針間医師はまた、性同一性障害の診断の難しさも背景にあると指摘する。診断前には様々な診察を行うが、「本人が強く主張すれば、その通り診断してしまうことはあり得る。先に性別適合手術を受けてきた場合はなおさらだ」と言う。
 自らもトランスジェンダーで、性同一性障害に詳しい明治大学の三橋順子・非常勤講師(性文化史)は「特例法の施行直後に比べ、性別は容易に変更できる環境にある。今後、同じ悩みを抱える人は増えてくる」と予測する。「性別をたびたび変えることは望ましくないが、一方通行ではなく、例外的に後戻りできる道も必要なのではないか」と話す。(千葉雄高)
     ◇
 〈性同一性障害と特例法〉 心と体の性別が一致せず、精神的に苦しむ障害。2004年7月施行の「性同一性障害特例法」で、2人以上の専門医が診断▽20歳以上▽未成年の子がいない▽生殖機能を欠く▽変更したい性別の性器に近い外観を備えている――などの条件を満たせば、家裁で性別の変更が認められるようになった。

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