仮眠時間です。
私の好きな映画、網走番外地で、悪事の限りを尽くす、やくざの組長に、好漢高倉健さんの主人公の怒りは、最後、爆発します。
たしか、第2作だったと思いますが、沢山観たので、記憶は混ざっているかもしれません。
せっかく、網走番外地から出てきたところですからね。
また、戻ることになるわけですからね。
でも、怒りは爆発し、やい、××、てめえ、死んでもらうぞ、とそこの組長に、吠えるのですね。
あー、高倉健さんといったら、もう、このかっこよさといったらないですね。
これでこそ、日本男児だわ。
有働由美子さんが、惚れてしまうのは、無理ありません。
なんか、それに匹敵するような、オーラが、ベッキーさんのマジ歌にありましたね。
あのベッキーさんに、惚れてしまった人も、相当いたと思いますね。
なんですかね。
科学革命の構造、という本が昔、流行りました。
パラダイムの転換というのが、この本のキーワードであります。
思考の枠組みをパラダイムと呼びます。
誰もが、わかるところだと、天動説から、地動説みたいな、思考の枠組みの変換が起こることがたまにあり、そういうことで、次に有名なのは、この世は、3次元の空間に、時間を混ぜた、4次元の空間であるということですね。
ニュートン力学から、特殊相対性理論への、思考の枠組みの転換ですね。
まぁ、ここのところ、日本人の思考の枠組みは、もう、大変なことになっていまして、詐欺や強盗よりも、不倫が悪い、という、不倫絶対悪教みたいなものが、猛威を振るっていました。
でも、その猛威を振るっていた、不倫絶対悪教が、破綻したかもしれない気がしますね。
私は、宮迫さんの方で抑えてもらおうと思っていたのですが、宮迫サイドのシナリアを作る人が、力量不足で、ひどいことになってしまいました。
そうしたら、全く予想していなかったのですが、ベッキーさんのマジ歌の方で、時代の暗雲を吹き飛ばすような、快演を見せてくれたのですね。
まぁ、不倫はそんなに悪いことかなぁ、と戦うスタンスと、今回のベッキーさんのは、再チャレンジしてもいいでしょう?といった感じで、絶対悪視するのを見直す方向ですかね。
まぁ、週刊誌業界では、楽して儲かるのは、不倫記事だというので、不倫特需に沸いていたわけですね。
週刊誌が記事にする、ワイドショーで取り上げる、TVを見て、スポーツ紙が記事にして、ヤフーニュースに載せる、ヤフコメ民が書き込みをする、ヤフーから、書き込み数に応じて、ニュース紙にお金が渡る。
この最後のところが、みそみたいです。
つまり、ヤフコメで、コメント数を稼ぐ記事が美味しい、あるいは、5000件コメントが付く記事を書かなくても、600件、コンスタントに稼ぐ記事を10回書いたら、なかなかいい稼ぎになるのでは、というのが、現代日本のマスコミなんですね。
まぁ、出版不況の時代に、金が稼げる記事は、美味しいのでしょうね。
たまたま、ヤフコメは、余程の暇人しか書き込みをしないところがありますからね。
彼らの大好物ネタは不倫だと気がついたら、飽きられるまで、不倫記事をかきまくるわけです。
まぁ、よりによって、そのヤフコメ民は、かなり、俺の嫁はベッキーだぞみたいな認識のがいるらしく、それで、お前になんの関係があると言われても、彼らの頭の中だと、ベッキーに不倫されたみたいな怒りは収まらないようですね。
あー、頭おかしいのですが、これは、永遠に治らないのですかね。
この変な現象が絡んでいるので、ベッキーさんの記事を見れば、粘着しています。
さすがに、マジ歌は、視聴しないと、あの衝撃は理解できませんからね。
昨日からのヤフコメは、パラダイムの転換が起きたかもというのが、わからないで書いていますから、情けないくらいになりますね。
頭悪い人は、ニュースを見ないでも、ヤフコメを見れば、その本質が分かるとか考えるようですね。
うーん、自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の頭で考えて、自分の言葉で話す。
そういう、基本的なことが出来ないとつらいかなぁ。
そういうことが出来ると、ベッキーさんみたいに、そのうち、潮目もかわるでしょと、生きていけるんですねー。
それは、なかなか、面白いですね。
デビッド・リースマン?は、孤独なる群衆という著書の中に、3つの思考形態で、分析します。
伝統志向、内部志向、他人志向と分けます。
現代は他人志向の時代だというのですね。
確かに、そういう面はありますが、現代でも、内部志向の人は結構います。
職人さんのメンタリティは、内部志向でありますし、宗教も、内部志向ですね。
科学革命の構造に関することなどは、科学哲学という、ジャンルの学問ですね。
一応、私は、この科学哲学をやるつもりだったのですね。
当時、放送大学には、村上陽一郎さんがおりましたからね。
トーマス・クーンより、全然、実力がありますからね。
村上陽一郎さんは、チェロを弾いたり、カトリックのクリスチャンなんですね。
それでいて、ルネッサンスを語らせたら、世界の最高峰みたいな人なのですね。
まぁ、村上陽一郎さんも、内部志向なんでしょうね。
あー、私も、大工のうちの子で、職人気質ですからね。
ベッキーさんも、どうも、内部志向らしいです。
ですから、判断基準が、世論とかに影響されはするのでしょうが、自分の中に、コンパスがあって、それを見ながら、すすんでいけるのでしょうね。
リースマンの孤独なる群衆は、うちの本棚に置いてありましたね。
リースマンは、時代が進むと、内部志向型より、他人志向型が増えてくると分析します。
でも、それは、内部志向型より他人志向型の方が優れているとは、全く言ってないのですね。
むしろ、内部志向型の方が思考は安定しているということは認めています。
ただ、現代では生きにくいです。
サラリーマンだと厳しいです。
でも、職人、芸術家、学者なんかだと、他人志向では、ろくなものがつくれないでしょうね。
でも、ここまで引っ張ったのは、他人志向型はサラリーマンには向きますが、きょうび、脱サラ、起業しないと、生活出来ないという、アメリカに近い社会に近づいてくると、内部志向型の方が、創業には向きますね。
それで、内部志向型の生き方の方が、お得な時代になったのかなぁ。
それは、なかなかに、パラダイムの転換が起きているのかもしれないなぁ、と感じたのですね。
まぁ、この日記は、そのうちに、再構成して、本にしようか、というのがあります。
65歳過ぎたら、雇ってもらえないでしょうし、その時も働かないと厳しそうですしね。
アイデアを、浮かんだそのときに、書き留めておこうとというのもあります。
何かが、今日変わったのかもと思うのですね。
それで、いつもより、雑文度は高いですが、それだけに、面白いかもしれないですね。
結論もないままで、ごめんなさいね。
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