確かに、世の中には「命をかけてでも、やり遂げねばならない事」もあるでしょう。
しかし、それに「レイプ魔と戦う」を入れて良いのでしょうか。
■「性暴力は死ぬ気で抵抗すれば防げる」にジョン・カビラ猛反論 「自分の娘が被害に遭ったとして同じ言葉を言えますか?」
(キャリコネ - 06月21日 17:32)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=4631619
私は、「命をかけてでもやり遂げねばならない事」があるとすれば、それは、『「それを失ったら、自分が自分でなくなるもの」を守る時』だと思います。
レイプされた人は、深く傷つけられてはいますが、「その人がその人でなく」なったりはしていません。
その人の価値は、失われてはいません。
もし、「女性の価値は〈純潔〉にこそある」というのなら話は別ですが、そんなものは、純潔でもなんでもありません。被害者が気にやむことはない。
純潔は心に宿るものです。
その人が、純潔に背く行いをしない限り、純潔に生きている限り、それは失われずにあるものです。
………と、何だか熱くなってしまいました。
ご寛恕ください。
…でも、もし世の少女達が「私は体にしか価値がない」などと言ったら、そんなの嫌でしょう。
「体が失われたら人間としての価値がない」なんて思ってしまったら、心だっていつか失われてしまう。
そんな風に思うのです。
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