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2017年05月19日21:14

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 【質問】 海防艦「國後」と軽巡「阿武隈」との衝突事故について教えてください.(下書き)

 【質問 kérdés】
 キスカ撤退作戦の際に起きた,海防艦「國後」と軽巡「阿武隈」との衝突事故について教えてください.



 【回答 válasz】
 時は1943年7月26日のこと.

 その4日前の夜,キスカ守備隊を救わんと,幌筵を出発した第一水雷戦隊でしたが,23日,濃霧のため駆逐艦長波,補給艦日本丸,國後,軽巡多摩が後落.
 この中で國後のみ電話連絡さえ途絶えたのでありました.
 24日,霧の晴れ間を利用して高角砲の試射をしましたところ,その砲声を聞きつけた多摩・長波・日本丸は水雷部隊に合同できたものの,國後だけは依然として行方不明.

 26日夕刻,水雷部隊は,先頭から日本丸 - 阿武隈 - 多摩 - 木曾 - 島風 - 五月雨 - 夕雲 - 風雲 - 秋雲 - 朝雲 - 薄雲 - 響 - 若葉 - 初霜 - 長波の単縦陣を形成,各艦距離600-400m,速力11ノットで霧中浮標を曳航しながら航行しておりましたところ,17時44分,霧中視界500m以下の霧の中から國後が突然現れたものだから,さあ大変.
 阿武隈の右舷中央部にゴツンと衝突してしまいます.
 一方,國後は艦首を損傷.
 しかし後進をかけ,阿武隈と多摩との間を何とか通り抜けたのでした.

 おかげで隊列は大混乱.
 単縦陣の先頭2番目を航行する阿武隈が急に減速したものですから,後続の艦も皆,急減速をかけることになってしまいました.
 先頭車両が急ブレーキを踏んだようなものです.
 おかげで,今度は若葉と初霜が衝突してしまいます.
 慌てて初霜が後進しますってぇと,今度は初霜は長波の左舷に衝突.
 とんだ多重衝突となってしまいました.
 これで,いちばん割を食ったのは若葉で,他の3隻は軽傷だったのに,若葉は最大速力14ノットに低下して,幌筵に帰投する羽目になってしまいます.

 しかし,まあ,禍を転じて福と為すと申しますか,この事故で水雷部隊のキスカ島突入予定日は28日から29日に延期になったのですが,これがかえってアメリカ軍の意表をつくことになります.
 29日,キスカ島に突入した水雷部隊は,守備隊将兵の撤収に無事成功.
 7月31日から8月1日にかけて,幌筵島に帰投できたのでありました.

 一方,アメリカ軍は30日,キスカ島に対して艦砲射撃を開始.
 8月15日に上陸しましたが,もぬけの殻だった島には犬が2頭残されていただけだったそうです.

 さて,この國後,終戦まで上手く生き延び,復員輸送に当たりますが,そこでの最期のドタバタは,これは次回の講釈で.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://mokeidaisuki.blog.so-net.ne.jp/2009-07-14
http://www.stampmates.sakura.ne.jp/Pcfic/Usa-Aleutian.html
http://www004.upp.so-net.ne.jp/hanain/grandfleet/kiska.html


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