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2017年05月07日19:57

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 【質問】 大韓航空機YS-11ハイジャック事件とは?

 【質問 kérdés】
 大韓航空機YS-11ハイジャック事件とは?
Mi az Koreai légi vonalak YS-11 Repülőgép-eltérítés?

 【回答 válasz】
 大韓航空機YS-11ハイジャック事件 칼기납북사건 は,1969.12.11.,大韓航空(KAL)のYS-11型旅客機が,北韓工作員によってハイジャックされ,咸興市近くの善徳空軍基地に強制着陸されられた事件.
 北韓は「航空機のパイロットが北韓へ亡命した」と発表し,日本の会社がKALにリースしていたYS-11を強奪.
 また,1970年2月に乗客のうち39名が送還されたものの,残る乗客4名と乗員7名は2017年現在も北韓に拉致されたままとなっている.

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「ソウル行きのYS-11型旅客機が,江原道(カンウォンド,강원도)上空で突如向きを変えました」

「旅客機に何が起きたのでしょうか」

「意見が激しく対立します」

「これは実話であり,公式記録・専門家の分析・関係者の証言っぽいものにより構成しています」

「クリスマスも近い1969年12月11日12時25分頃,大韓航空のNAMC YS-11型国内線双発旅客機が,ソウルへ向けて江陵飛行場 강릉공항 を飛び立ちました.
 この機には,ほぼ満席の乗客47人と,機長のユ・ビョンハ 유병하,副操縦士のチェ・ソクマン 최석만,そして2人の添乗員が乗っていました」

「MBC放送のプロデューサー,ファン・ウォン 황원 は,乗客の一人でした.
 彼は当時32歳.
 出張のため,この飛行機に乗っていました」

「YS-11は,日本航空機製造という特殊法人会社が製造した双発ターボプロップ・エンジン方式の旅客機です.
 第二次大戦後では初めてとなる日本製の飛行機で,アメリカではピードモント航空が使った他,ブラジル・韓国・フィリピン・台湾といった国々で使われていました.
 このYS-11製造番号2043号機は,日本航空機製造から大韓航空にリースされた機体でした」

「ところが約15分後,江原道上空で旅客機は突然向きを変えました.
 管制官が呼びかけても応答がありません.
 管制塔は困惑します」

「とうとう38度線を越えます.
 その先は北朝鮮です」

「13時18分頃,北朝鮮の善徳(ソンドッ 선덕)でレーダーの輝点は消えました.
 善徳には北朝鮮空軍の基地があります」

「そのまま2043号機は消息を絶ちました.
 いったい何が起きたのでしょうか」

「YS-11は,決して操縦の優しい飛行機ではありません.
 操舵系統には戦後主流になりつつあった油圧を使わず,操縦桿と動翼をケーブルにより直接つなげており,自動操縦装置もありません」
「そのため操縦桿は常に重く,パイロットには腕力が必要でした.
 2043号機に操縦上のトラブルが発生したのでしょうか?」

「それとも,パイロット自身に何か問題が起きたのでしょうか?」
「1997年12月19日,インドネシアのムシ川に,シルク・エアー185便のボーイング737が墜落.
 アメリカの事故調査機関NTSBは,株取引失敗など私生活に問題があった機長が,故意に旅客機を墜落させたと結論しました」
「2043号機も機長がわざと進路を変えたのかもしれません」

「2043号機が消息を絶ったニュースは,瞬く間に広がりました.
 レバノン料理以外の様々な憶測が飛び交います」

「翌日,意外なことが起こりました.
 12月13日未明,平壌放送が2043号機はパイロット2人の自主的な亡命によって北朝鮮に到着したと発表したのです」

「この説明は到底信じられないものです」

「韓国の人々は,10年前の出来事を思い起こしました」
「大韓航空がまだ大韓国民航空という名前だった頃の1958年2月16日,釜山発ソウル行きのDC-3型機『滄浪(チャンナン)』号が,平沢(ピョンテク)上空でハイジャックされ,北朝鮮の平安南道にある順安空港に強制着陸させられました.
 飛行機を乗っ取ったのは,金沢善(キム・テクソン)ら5人の北朝鮮工作員でした」

「韓国の捜査当局は,YS-11の乗員乗客全員の過去や家庭環境などを洗いました」
「12月15日,捜査当局は,江陵で病院運営をしていたチェ・ホンドクが,実は北朝鮮の工作員であり,副操縦士チェ・ソクマン최석만や,もう一人の乗客ジョ・チャンフイ조창희を抱き込み,旅客機をハイジャックしたと発表しました」

「これに対して大韓航空側は,チェ副操縦士はそのようなことをする人間ではないと,関与を否定.
 治安当局の発表は全くの憶測で,何の証拠にも基いていないと反論しました」

「韓国政府は当時,北朝鮮と直接交渉できる状況にありませんでした」
「韓国は国連に助けを求めます」

「12月22日,国連軍の要請により,38度線上にある板門店で『軍事停戦委員会秘書長会議』が開かれました」
「しかし両者は,意見が激しく対立します」

「国連軍側は,2043号機の乗員乗客及びに機体の早速な送還を要求.
 北朝鮮は,彼らは皆,北側に残ることを望んでいると回答しました」
「国連軍側は,第三国において彼らの意思を確認できるよう求めます」
 すると北朝鮮側は,国連軍の介入する問題ではないと言い出し,以降の話し合いを拒否しました」

「韓国政府は次いで,日本赤十字社と国際赤十字委員会の仲裁を介し,北朝鮮と交渉しようとしました」
「しかし北朝鮮はこれを黙殺.
 それどころか12月24日には,政治宣伝のための『操縦士歓迎市民大会』を開催」

「事件は長期化の様相を見せます」

「乗員乗客を返そうとしない北朝鮮に,国際世論の風当たりが強くなります」

「ようやく1970年2月5日,北朝鮮は2043号機の乗客を送還すると発表しました.
 しかしなぜか乗員4人と乗客7人については返すことを拒みます.
 その7人の中にはファン・ウォンも含まれていました」

「韓国政府は全員の解放を要求しました.
 けれど北朝鮮は要求を受け入れません」

「結局韓国は,アメリカの勧めで全員解放を諦めざるを得ませんでした.
 当時アメリカはアジア防衛のアジア化を宣言し,在韓米軍撤退の検討に着手しており,朝鮮半島情勢の緊張を望まなかったからです」

「2月14日,乗員4人と乗客7人,そしてハイジャック犯1人を除いた39人が,板門店を通って韓国側へ戻り,事件は一応の終結を見ました」

「解放された乗客の証言から,2043号機の中で何が起こったのかが明らかになりました」
「治安当局の再調査によれば,真犯人は,それまで従犯と思われていたジョ・チャンフイでした.
 彼は『ハン・チャンギ』という偽名を使って韓国でスパイ活動を行っていたところ,北朝鮮から指令を受けて38度線を越えることを計画.
 彼は2043号機の前のほうの座席に座り,離陸から14分後,パイロットを脅してハイジャックしたのです」
「当初の発表では主犯とされていたチェ・ホンドクは,実際には犯行にはかかわっておらず,また,チェ副操縦士も共犯ではありませんでした」

「この事件の後,韓国政府はハイジャック対策を強化.
 乗客の検査強化,乗客が匿名や他人名義で旅券を取得することの禁止,空港従業員への司法権付与,航空機乗務員の武器携帯を可能にするなどの措置が取られました」

「しかしYS-11は返還されず,乗客7人と乗員4人も今も北朝鮮に拉致されたままです」

「2043号機の所有者である日本航空機製造は,機体の回収や補償を諦め,貿易保険によって損失補填しました」

「2001年頃に発行された中国の雑誌の記事により,2043号機のその後が明らかになりました」
「1973年,2043号機は中国民航101廠に運び込まれ,大規模な修理が行われていたのです.
 101廠は北京空港の整備工場です」

「2043号機は長年地上に放置されていたと見られ,オイル漏れが酷く,エンジンの損傷や部品の激しい劣化も見られたと言います」
「1974年6月,修理を終えた2043号機は北朝鮮に引き渡されました.
 その後のこの飛行機の行方は不明です」

「2001年2月,2043号機の添乗員の一人,成慶嬉(ソン・ギョンヒ)が,韓国の第3次離散家族訪問団が平壌を訪問した際,自分の母親に会うことができました」
「彼女はその席で,ユ・ビョンハ機長とチェ・ソクマン副操縦士は空軍で,同僚の添乗員だったチョン・キョンスク 정경숙 はアナウンサーとして働いていると述べました.
 しかしこれが本当の話なのかは分かりません」

「その他の乗員乗客については,生死さえ北朝鮮は明らかにしていません.
 なぜ拉致されたのかも分かりません」

「MBC放送ではファン・ウォンについて,6カ月分の月給を支払った後,条件付き休職としました」

「ファン・ウォンの妻はショックで偏執性人格障害に苦しみました」

「ファン・ウォンの息子のファン・インチョル황인철は,父親の救出を今も諦めていません」

「韓国の人々の多くはは無関心でしたが,インチョルは粘り強く運動を続け,2010年には国連にも訴えました.
 2011年には韓東大・延世大・高麗大の学生と一緒に拉致被害者支援会を結成.
 国際社会が人道的見地から圧力をかけてくれることに望みをつなぎます」

「北朝鮮から生還した乗客の一人,パク・ミョンウォンはファン・ウォンについて次のように証言しています」
『ファン・ウォンさんは思想教育中,共産主義の理論は間違っていると反論しました.
"南山の白骨にしてやるぞ!"という脅迫にも臆することがありませんでした.
 70年の新年初日,収容所で遠くの山を眺めながら,"私の故郷,南の海に行きたい"という歌を歌っていました.
 すると監視員が怒鳴りながらファンさんを連れ出し,その日から姿が見られなくなりました』」

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://ko.wikipedia.org/wiki/대한항공_YS-11기_납북_사건
https://ja.wikipedia.org/wiki/YS-11
http://www.tt-museum.jp/ys11_2.html
https://ko.wikipedia.org/wiki/창랑호_납북_사건
http://dansa.minim.ne.jp/RS-04YS-3-bangaiHiJack.htm
http://gigazine.net/news/20130412-korea-incident-map/
http://japanese.joins.com/article/091/166091.html
http://dailynk.jp/archives/12783
http://dailynk.jp/archives/14715
http://www.wowkorea.jp/news/korea/2007/1030/10034872.html
https://t.co/fbAMhLQaO0
http://imnews.imbc.com/20dbnews/history/2001/1874802_19546.html



写真はファン・ウォン役のデニス・アキヤマ
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