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2017年04月15日01:06

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小椋一葉『空海はどこから来たのか---讃岐佐伯氏 僧形八幡 消された覇王』

これでも、空海や神道には、相応の知識を持っていると自負しているのだが、小椋氏の証拠抜き論証抜きの思いつきの羅列を平然と連ねる叙述スタイルには辟易して、疑義が2cmおきに発生するために行論を追いきれない。

京大の、教育学科とはいえ院卒なので、修論も書いたのだから、論文の作法くらい分かっているはずで、いくら柔らかく一般向きに書くとしても、権力者が記紀を恣意的に書いたことを批判し、オルタナティヴを示すためには、博引旁証して、普通の歴史学者や宗教研究者が思いつかなかった、より整合性蓋然性の高いストーリーを提示して、論理的にこうでしかあり得ないという明晰で一貫した解釈を提示するしかあるまい。

『先代旧事本紀』の天照神=饒速日の牽強付会を更に皇祖神にまでしてしまった原田常治の思い付きを無批判に踏襲しているのは、「ムー」レベルの戯言でしょう。

それに、この人は、神道という以前の問題として、宗教学、いや宗教というものへの無知が透けて見えるところがある。具体的に言えば、本書においては密教の教義への無知が甚だしい。「仏像辞典」に像の写真に付されているやや詳しいキャプションや解説程度の知識しかないのに、仏像や仏教を浅く(そのくせ偉そうに)語るオタクであるいとうせいこうやみうらじゅんと同質同様の水準で、思いつきを語っているようにしか見えない。

古本で買って良かった(笑)
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