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2017年04月03日09:49

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3/31〜4/2新日本百名山・山口県・東鳳翩山

往復フェリーを利用して、山口県にある、東鳳翩山を登ってきた。
山口市の北に聳える秀峰で、登山学校「無名山塾」を作った岩崎元郎氏が提唱した<新・日本百名山>の一つ。北は北海道・礼文岳から南は沖縄の於茂登岳まで、47都道府県から最低一座は選ばれており、山口県からはこの東鳳翩山が選ばれた。

尾根続きに東西2つの鳳翩山があり、日本海と瀬戸内海の分水界になっている。西鳳翩山は、
男性的で標高も△741mと高いが、頂上をアンテナや車道が席巻し、自然が大きく後退した。
対する東鳳翩山は女性的な稜線で、展望もよいため人気が高い。
昔は、東鳳翩山を「こしきか嶽」、西鳳翩山は「方便山」と呼ばれた。「方便」が「ほうべん」となったのは、周防生まれの儒学者・片山鳳翩からとったものとされている。なお山口市仁保には、東方便山△359.8mという似た名前の山がある。登山口は山口市側に2 所、一の坂ダム上流の二ッ堂からのルートと山口市萩市境の「21世紀の森」からのルートがある。

3/31大阪南港フェリーターミナルを19:50発の名門大洋フェリーで、4/1新門司港に朝8:30到着。貸切バスで関門道を通り、小郡インターを降りて、登山口の上天花町にある「錦鶏の滝」入口駐車場に10:50。前夜の雨も上がって、天気になった。ナマナマルートと呼ばれる錦鶏の滝・
雄滝を巻くコースをとる。11:50。二ツ堂ルートに合流する。12:00主尾根の鞍部で昼食として
12:30、東鳳翩山△734.2mの頂上に着いた。眺めよく眼下に瀬戸内海、アンテナの立っている
西鳳翩山、遠く十種ヶ峰△989m、青根山△907mが望まれた。
下りは、21世紀の森コースをとる。中国自然歩道になっていて歩き易い。ショウゲン山710.8
m分岐に13:40。坂堂峠に14:05着いた。ここは幕末維新の志士たちが走り回った、「萩往還道」すなわち、三田尻と萩を結ぶ街道であった。

萩往還は、毛利氏が慶長9年(1604)萩城築城後、江戸への参勤交代での「御成道(おなりみち)」として開かれた。日本海側の萩と瀬戸内海側の三田尻港(防府市)をほぼ直線で結び、全長は53km。以前、萩往還をめぐる4回シリーズのツアーがあり、2回参加して萩城跡〜佐々並まで歩いたことがある。今回の板堂峠は、まだ歩いたことがなく、ラッキーでした。
板堂峠〜一貫石〜一の坂一里塚〜六軒茶屋跡と歩いて、天花坂口に15:00。ここは登り始めの
錦鶏の滝入口駐車場があった所で、周回コースをとったことになる。バスで移動して、国宝・瑠璃光寺五重塔を見学した。瑠璃光寺は曹洞宗の寺院。
大内氏の重臣・陶弘房の夫人が、応仁の乱で戦死した夫の菩堤を弔うため、文明3年(1471)に
仁保に創建した寺で、元禄3年(1690)にこの地に移された。

本尊は薬師如来。国宝の五重塔を中心とした境内は、香山公園と呼ばれ、桜や梅の名所にもなっているが、行ってみると今年は桜の開花が遅れ、ちらほら咲きであった。
大内氏隆盛時の1442年に建立された瑠璃光寺五重塔は、全国に現存する五重塔のうちで10番目に古く、美しさは日本三大名塔の一つに数えられ、室町中期における最も秀でた建造物と評されている。高さは、相輪の尖端まで31.2mある。
ちなみに、日本三大名塔の他の2基は、奈良県の法隆寺と京都の醍醐寺にある五重塔。
又、檜皮葺屋根造りのものは瑠璃光寺の他に、奈良の室生寺と長谷寺そして広島県の厳島神社にもある。

湯田温泉に行って一浴した。ここは、傷ついた白狐が傷を癒したという伝説があり、大内氏の時代から800年の歴史を誇っているという。新門司港19:50発のフェリーで、4/2朝大阪南港に8:30帰ってきた。

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