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2017年02月20日07:10

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ディレクター宮本理江子のこと

宮本 理江子、フジテレビジョン編成制作局ドラマ制作センターゼネラルプロデューサー。ドラマディレクター、編成制作局ドラマ制作センター演出担当部長、父は脚本家の山田太一。
「人と人との間にある空気の微(かす)かな揺らぎを映像化できる特性を熟知し,人間関係の危うさを見事に表現する演出家」と評される
2008年の連続ドラマ『風のガーデン』では、全11話を一人で演出した。通常2、3名のディレクターが分担するテレビドラマの世界では異例である。同作品の演出により、第63回(平成21年度)文化庁芸術祭放送個人賞を受賞。2008年度の放送ウーマン賞も受賞する
『風のガーデン』の最終回を何度か観直して思うことは演出が上手い、冷静にことを運び情に流されない、倉本さんの本なので泣き処満載であるそんなシーンはここは見せどこと思い情に沿ってどっぷり浸かり演出しがちだが、私も演出の端くれとして思うことは泣き処は役者が泣いてキャメラ横で監督が泣いている作品は甘過ぎて観る方は引く、山田洋次の映画によく見られる傾向だが、その時こそ監督は冷静に突き放し役者の芝居だけを見て
個性が出ているかどうか?を見極める時なのだ、情に流されては駄目、黒澤明監督はそのようなシーンは何度も出来るシーンではないので念入りにリハーサルをして望む、本番の時役者を見ないという、役者を見ずに回りを観るスタッフが声を殺して泣く姿を見てOKを出すと言う、いきなり黒澤さんの話しを例に出しこれは比較にならないと思う、私は映画やドラマ作りは料理に似ていると思う、素材は役者でシェフは監督である
このような言葉がある【不味い素材はない不味い料理があるだけである】
シェフは美味い料理を作ろうとして素材を吟味する、素材の持ち味、個性をよく知らなければならない、それが一流の料理人の仕事の一つ。
松竹に同じ素材を使い同じ役名で娘が嫁に行く行かないの映画を死ぬまで撮り続けた
その監督は松竹の巨匠として君臨し続けた小津安二郎とう監督がいた、テーマは日本の家族である、この監督の映画を三本続けてみたら何がなんだか分からなくなる同じ役者が同じキャラで決まりきったキャメラアングルで登場するからである、映画に流れる音楽まで同じだった、同じ味付けで決まった定食を出し続けた、この小津監督が世界的に評価されている、私はそれに疑問を唱え続けている本当にあなたは小津を観ているのか?と・・・
洋食ばかり食べ続けている人が時にお茶漬けを食べたくなる心理はわかる、だがお茶漬けはメインディッシュに成り得るのだろうか、?大根役者という言葉がある語源は
大根という素材は何にでも使え、食中毒を起こしにくい素材、即ち当たらない素材だから
人気(当たる)のない役者に言う言葉だ、宮本理江子から飛んでもない巨匠に飛躍しすぎた、それを連想させる演出家だということ、脚本の倉本聰さんは作品の出来に満足していると思う。私はこのドラマで学んだ人はいかにして死ぬのが幸せなのかと?家族に囲まれて死ぬのが至極の幸せだろうと思う。膵臓癌末期だと分かり産まれ故郷北海道富良野に戻って来る中井貴一、中井貴一さんは本名である父は松竹の二枚目大スター佐田啓二
小津監督が撮影所に近くにあった居酒屋をが好きで通っていたそこの娘が働いていたので佐田啓二を呼び縁結びをするその長男が中井貴一、貴一という名付け親は小津安二郎であるが故、中井貴一さんは映画撮影所のサラブレッドである、私は中井貴一さんが紳士だということを知っている、私の結婚式に出席してくれて、紳士な対応をしてくれた、私はその恩に何時か報いようと思っている、何時か一諸に仕事をした時そのことを話し、この最終回の演技について話してみようと思っている人が闘病中に死を迎える役者にとって究極的な状況である、黒澤さんの『赤ひげ』で藤原釜足が肝臓癌で苦しみながら死ぬシーンがある、赤ひげは新入りの加山雄三を呼びこの男は人に言えない苦しみの人生を背負いここに来た
もう長くは持たない人の臨終は荘厳なものだそれをよく観ておくようにと加山雄三を残し部屋を出て行く加山雄三は死に際の藤原釜足を見とるこの老人、藤原釜足が凄い演技をするその形相を観て加山は怖くなり後ずさりして部屋を飛び出すシーンより貴一さんらしい誠実な演技が光っていたと云おうか?昔、淀川長治さんと話していた時「あなたベルイマンが好きだといいましたな、ベルイマンはクロさん(黒澤さんのこと淀川さんは黒澤さんの親友だった、黒澤さんの『羅生門』が外国映画でオスカーを受賞した時淀川さんは「映画の友」の編集長で雑誌の取材でハリウッドに居た黒澤さんは淀川さんに代理としてオスカー象を受け取ってくれと依頼した淀川さんはオスカー象を代理人として受け取った)の映画をしっかり観ています『叫びとささやき』で子宮癌で苦しんで死ぬシーンは『赤ひげ』にありましたな『処女の泉』で森の中で少女が犯されるあれは『羅生門』です」と教えて下さった、確かにベルイマンは黒澤さんの影響を受けている、「こういうことは理屈じゃない匂いとか皮膚感覚で感じなさいね映画は感覚です同じ匂いを発するものです・・・そのようなセンスを磨きなさいね」と淀川さの言葉を思い出した・・黒澤さんベルイマン・淀川さん私の敬愛する人たちである
私の人生の節目でこの人たちは助けて下さった。この三人がいなかったら今の私はいない
宮本理江子の冷静な情に流されない演出を観てこの三人の方々を思いだした。私にとっては最上級の人たちそれを考えながら、宮本理江子は素晴らしい演出家だなと実感した。
ドラマ『風のガーデン』は素敵なラストで終わる倉本さんは自分のドラマに流れる歌には拘った人だった、映画『夜叉』では大晦日の夜紅白歌合戦を観ながら健さんが八代あきの『舟歌』を聴きそのシーンは『舟歌』で埋め尽くされた、
中井貴一が東京で医者をしていた時に歌手の卵(平原綾香)と知り合い今度この歌でCDデビューするときかされるそれが[ショパンのノクターンをアレンジした/カンパニュラの恋] という歌その歌がヒットして中井貴一が北海道に戻り札幌を歩いていると家電店のTVに彼女が歌ってい
る姿を暫らく観ているシーンがある、中井貴一が亡くなり札幌に雪が降りだした時に娘(黒木メイサ)が平原綾香に連絡を取り、札幌の喫茶店で会う、「私は中井貴一の娘で父は10月に癌で亡くなった」と伝える「私何度も先生の携帯に連絡して返事がなくどうなさったのかな?と思っていました」と驚く、平原綾香「私の家では風のガーデンと言う花畑をしてるのですが、あなたの歌がヒットしてるのを父は嬉しく思っていました、これは家のガーデンで育てたカンパニュラを押し花にしたものです、今札幌にいらっしゃってると聞き連絡させてもらいなした」と言い額に入れた押し花を平原綾香に渡す娘
「父の遺品として受け取って下さい」
その夜、平原綾香は額を携え教会で観客を前に「私の友人が突然亡くなりました」と言い
「この歌を亡くなった友人に捧げます」カンパニュラの押し花を見ながらこの歌を歌うのであった。

https://www.youtube.com/watch?v=2ikz9mX8Wec





倉本聰さん、山田太一さん両巨匠の書くドラマは何時も私に強い影響を与えれくれた
感謝、感謝。
https://www.youtube.com/watch?v=UmVS1K75KD0







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