昨日は山科へ。
朝少しだけおねいちゃんとお話しておりましたが、それから草津〜山科方面へ出かけました。
瀬田の橋からは、琵琶湖に大きくて太い虹がかかっていました。
あちらこちらで雨模様ですが、今回も私が歩くところは雨が上がってくれました。
その山科も、数十分前まで雨が降っていたようです。
路面の濡れとヒンヤリとした風。
グングン寒くなりますね。
さて、山科です。
今回は本願寺跡を散策しようと、あ、仕事です。
仕事の合間にちょこと。
最近宗教の変遷に興味がありまして
先々週の芦原温泉の近くに「吉崎御坊」と言うものがありまして、浄土真宗の一大拠点、中学校で必ず習う加賀一向一揆、百姓の持ちたる国の拠点。
その吉崎から京都山科本願寺、金沢尾山御坊、大阪石山本願寺と宗教家が一大大名と見間違うほどの(いえいえ実際は坊主・市民ではなく武装集団ですから武士と変わりませんが)発展をする訳ですが、その山科へ。
残念なことに、
その遺構はほとんどありません。
浄土真宗のお寺さんは、ご多忙に漏れずお東さんとお西さんが。
当時の寺内域を思わすようなものは何もありません。
これまた歴史に出てくる、細川・六角による徹底的な破壊によるものです。
その中で
当時の土塁跡です。
高いでしょう
この外側に堀が廻らされてました。
まさにお城です。
そしてかなり広い地域です。
地下鉄の駅で1駅以上の範囲です。
環濠都市、総構えの城を呈していますね。
大阪近辺は、自主独立、平和は自分の手で作ると言う精神があったので、その一環ともいえます。
どこかの国の、「回りに悪い人はいない。話し合えば平和に暮らせる。だから自分を守るのは悪いことだ」などと言う頭がお花畑の人を良しとするものと真逆ですね。
その土塁に登って、往時に思いを馳せていました。
もう500年以上前のことなんですよね〜
でもそこに人がいて、生活がって、恋愛をする人がいて・・・
蓮如はここで亡くなってますから
静かな佇まいで
街を散策している、ギョっとする光景を目にしました。
家と家の隙間から、それは見えたのです。
近所の人に「あれはなにか?」と尋ねるも、みんな知らないとか分からないとか。
5人目の方にやっと教えてもらいました。
それは戦時中、金属を政府に出さなければならず、そのために無残な姿になった、蓮如像でした。
像はなく、台座だけ。
その台座は10メートルくらいの高さで、自然石を積み上げて固めたような形。
案内板も金属だったのか、剥がされていました。
なんとも異様な光景で、少し怖いものを感じました。
晴れているのに、重々しく息苦しい感じです。
別に何があるというわけでもないのですがね。
写真好きの私が、ファインダーを覗くことを躊躇わせるほどの空気感でした。
ご興味がある方は、山科・蓮如像くらいで検索できるのではありませんか。
必ず写真が出てくるでしょう。
悪いものではないと思いますので、一度ご覧になってください。
私は写真に収めたくありませんでした。
ここんとこ、寺社仏閣にちょこちょこお邪魔しているトットでした。
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