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2016年11月15日03:21

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ズシリと来る喪失感・・。

なんだろう・・昨夜この訃報を前にして、何ともズッシリ重くのしかかるものが・・
どう表現していいか、一口では言い表せないような感じ・・。

正直、彼の特別なファンとして追い続けたわけじゃないし、
楽曲をしこたま買い漁ったわけでもない。なのに、どうにも喪失感が大きいという・・

やっぱ、それは珠玉のメロディメイカーだったから・・っていう理由が主なんだと思う。

個人的に思っている稀代のメロディメイカーで真っ先に名前が浮かぶのが、
バート・バカラックであり、そしてレオン・ラッセル。

バカラックのメロディが、アルプス山脈で湧き出る天然水だとするなら、
ラッセルは砂漠で掘り出た貴重な井戸水のような・・そんな感覚。

それは多分、カントリー・ロックから来るある種の“土臭さ”に起因しているのかもしれない。

だけど、あらゆるアーティストのフィルターを通すことで、
土臭いと思われていたものがどんどんと浄化されていく。

と思いきや、土臭さなんていう不純物は、実は何にも入ってなかったことに気付く。

結局、魂とか情念とかいう「人間臭さ」が真の正体だったんじゃないか・・と。

人間=心=純粋さ。歌は心。それは最も基本的で根源的なもの。
南部系ロックやブルースにある、そして彼特有の骨っぽさってのはまさにそれだったっていう・・。

どの名曲も、全てがやはりピュアネス。ピュアだから、どんな色にも自由に染まれる。

どうやったらあんなメロディを書けるのだろう・・
事ある毎に、そんなことを思い抱いていた。

時代は流れ、音楽は色んな局面や曲がり角を経て来たけれど・・
その時々で洗練され、ハードの発達や進化も相まって、あらゆる手法で幅や方向性も
より広がっていったけれど、原点である旋律は、時に置き去りになってしまったんじゃないか・・
とさえ思うこともしばしばで・・

それは単に、音符の組み合わせによるパターンの渇水や限界点に及んで来た、
なんていう数値理論的なことよりも、感性や情感が基礎である音楽の根源・・
人間の人間に拠る、人間という曖昧性の中にあるアナログ要素自体が渇水している・・

五感や感性というものが、近代の音楽家の中では「目詰まり」を起こしているのじゃないか・・
バカラックやラッセルの中にある作曲能力を鑑みた時、そんな風にさえも思えて来る。

彼のような、根源的な所から来るメロディメイカーは、もう二度と現れないのだろうか・・
そんな不安感を妙に思い抱かせた、重たい訃報だ・・。

追悼に2曲ほど。

彼の自作自演の中で、個人的に印象に残るナンバー。
西海岸辺りの爽やかな音楽を追い求めていた時、南部の香りを漂わせながら、
潮風の空気感をブレンドさせたようなこの曲・・。

「Back to the Island」



もう1曲は、著名な名曲の中で1番好きなナンバー。
本来は「Groupie」という原曲も、リチャード・カーペンターが妹のカレンに合わせて
手を加えたこの曲。レオン自身が歌い上げたものは確かないはずで、やはり
カーペンターズの作品がなんたって有名だけど、個人的にはこちらの方がずっと染み入る。

「Superstar」 by Luther Vandross



今頃は雲の上で、カレンとこのルーサーと、3人で歌い上げているのだろうか・・

Rest In Peace...

レオン・ラッセル、死去
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=51&from=diary&id=4291635
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