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2016年10月31日16:25

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量刑に対する国民感情との乖離

ポケGO運転で2人死傷 実刑判決
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4268832

「・・・過失致死って、そりゃ普通の運転していてハンドル切り損ねたとかいうなら「過失」といえようが、明らかに危険な運転の仕方をしておいて、それで事故っても「過失」ってのはねえだろう。「未必の故意」っていう立派な殺人じゃあねえのかい」
っと、口角泡を飛ばす友人。
いや、気持ちは大いにわかる。

「未必の故意」は、まず「この運転の仕方(ポケモンしながら運転)は人を撥ねて死なせてしまう危険な行為だ」という認識を有していることが第一要件。
まあ、これは容易に認められよう。
だが、続けて「それを認識しながら、死なせてもかまわないと思った」という要件が必要となるところ、この加害者だってなにも「人を死なせてもかまわない」と思って運転していたとは言えまい。
したがって、純然たる罪刑法定主義に従えば、過失致死罪の構成要件の域を出るものではなく、すなわち当該量刑が妥当なところ、ということになる。

だが、これほど国民感情とかけ離れていては、やはり現行の刑法そのものの見直しが必要なのであろう。
とかく少年法の問題では、いつもそうした指摘の声は絶えないし。

そして、量刑基準の見直しにおいては、条文ごとの量刑の上限下限を厳しくしたり緩めたりすればいいだけの話ではない。
終身刑の導入議論もよく耳にするが、量刑に対する基本理念、例えば刑法を、応報刑論と目的刑論、どんなバランスで捉えるか等、そんな次元から掘り起こしていくことが必要であろう。

蛇足ながら、刑事上の話はさておき、民事上の賠償責任の問題がどうなってゆくのか、メディアはそれを追跡報道してもらいたい。
損害保険の適用があるのだろうが、場合によっては、加害者にとって、刑事罰よりも身に堪えることもあろう。

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