25年前を考えると、今ってSFみたいだ。まさか原発が壊れて放射能が蒔き散らかされて日本がチェルノブイリ以上になるなんてね。今からするとそんなこと決まってた運命のように思うけど。25年後私はこの世にもういないだろう。残された時間は?25年後、日本もこの地上にあるんだろうか?
今から30年前、
チェルノブイリ原子力発電所事故(チェルノブイリげんしりょくはつでんしょじこ)は、1986年4月26日1時23分(モスクワ時間 ※UTC+3)にソビエト連邦(現:ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で世界を汚染する原子力事故が起きた。
その事故よりさかのぼること7年も前、1979年3月28日、アメリカ合衆国東北部ペンシルベニア州のスリーマイル島原子力発電所で発生した重大な原子力事故がすでに起きていた。
今となっては記憶もあやふやだが、今から30年以上前の話、まだ学生だったある日同じクラスでも常に私よりも大人で、物事を達観していたTが突然、ねえ、東京に原発をって本知ってる?と話しかけてきた。
私たちは、広島長崎への原爆投下よりもずっと後で生まれたが、世界中で核実験が行われているさなかに生まれ育った。
核戦争と言うものがあるとかないとか幼い頃の私たちには理解できなかったが、テレビの普及がされてから私たちはアニメや漫画の中で漠然とした世界の終わりを感じながら生きていた世代だと思う。
放射能が地球上を蝕み殺して行く。それが私たちの未来像だった。
未来像だったが、放射能とは何か、どのように私たちを蝕むのかということに関して何か調べてみようなどと思ったことはなかった。雨に当たると毛が抜ける。白血病になる。血を吐いて血が止まらなくなって死ぬぐらいの情報しかなかったように思う。後で良く考えれば原爆投下の記録を読めば良かったが、あのころは現実を見る事が恐かったし、ブラウン管のこっち側、我々の世界で本当にそのようなことが起こるなどと、起こってるなどと考えたくもなかった。
しかし70年代の海は、田舎だった私の故郷ですら、すでに赤潮にまみれ、空はスモッグまみれだった。
あと25年後の自分が想像できる?
中学校時代は管理教育が横行し、体制に逆らう生徒への教師の暴力が横行していた。
ベットタウンとして山を切り崩し無計画な宅地開発によって膨れ上がった子供の人数のために、学校の規模が大きくなりすぎて管理に無理をきたしていたせいかもしれない。
明日の事すら想像がつかないのに。
「ねえ、東京に原発をって本知ってる?」
彼女が私に聞いたのは、その管理教育体罰の牢獄より多少マイルドになった上の学校に進んだ頃だった。
私は世界の終わりよりも、目先の牢獄から逃げる可能性を探していたころだった。
彼女の教えてくれた本をその時読むことはなく、読んで見て。って言われただけでそのまま通過してしまったと思う。日本にも原発があるんだよ。壊れる可能性がある。という話だった。
そういえば、原発銀座の福井、初めての商業原子炉が茨城にとか言う話を授業で習ったことはあった。
子供向けの科学雑誌に、エネルギーをいくらでもとりだせる(というのは本当は嘘だらけなのだが)夢の原子炉もんじゅの話があって、子供心に胡散臭いおとぎ話だと何となく予感はあった。
核兵器を落とされて日本が終わるよりも、発電所が爆発して毒がまき散らされる?
最終戦争とは違う何か。
全く想像がつかない。
実感もない。
私は彼女とどういう話をしたんだろう?
今もう思い出せない。
家族をもって、バタバタしているうちに、
彼女との音信が途絶えた。
彼女の言葉を、信じなかったわけではないと思う。
どうしてこんな大事な事を素通りさせてしまったのだろう。
それから私は彼女のいる町を離れて、東京の学校に進学して一人暮らしを始める。
ある朝の新聞の見出しに『チェルノブイリ原発爆発事故か』
ああ、ついに世界の終わりの始まりか。
メモ 核兵器開発・核軍縮の歩み
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/Peace/J/pNuclear2_1.html
広島25年ぶりのリーグ優勝へ。25年前ってどんな年だったか覚えてる?
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=112&from=diary&id=4185016
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