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2016年08月11日01:04

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人として

■大阪地検、謝罪せず=「長年服役させ遺憾」―女児焼死再審
(時事通信社 - 08月10日 20:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=4137811





仮に検察の威信(メンツ)が関係ないと仮定しても、無罪判決を甘んじて受けないということは、少なくとも検察官レベルではこの事件の犯人は元被告人達だと思っているんだろう。

しかし、それは単なる個人の主観であって客観的事実である裁判の判決は無罪で確定したのだから、法を扱う人間として法に則った最終結果が無罪であるならば、例え違法なことをしていなくとも少なくとも人として謝罪することが然るべきであるとは思う。

特に他人の人生を直接的かつ大規模に左右することのできる職業(権限の持ち主)だけに、その他の一般的職業の者よりもそのような行為は必要であろうと考える。

一方で、確定判決を別角度から見てみれば、法的には検察官の起訴は間違いであった(適切ではなかった)と認定されたわけであるから、間違った事をしたら「ごめんなさい」が人間のすること(あるべき姿)であって、不満があるから謝罪しないというのは稚拙であると感じる(要は子どもの理論であるということ)。

その意味でも謝罪は必要な行為ではなかろうか。
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