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2016年07月18日12:52

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ひとの死を感じる体験を語ってくれる先生がいるといいね

26年前、私が中学生の時の技術を教えていたのが、耄碌ジジィと名高い教頭先生。
戦争の話ばかりするのでまったく授業が進まず、テスト前に慌ててテスト範囲だけをやるスタイルで、落ちこぼれの私でも高得点がとれるラッキーな科目だった。

ある日、耄碌先生は戦地に狩り出され「死体を集めて来い」と命令された。
辺り一面が焼野原で、バラバラになった戦死者の死体が点々と転がっている。
人間ひとりの身体が揃うように並べよ、と命令される。
周りには自分と同じ年頃の少年たちが、同じように死体を集めて並べているのだそうだ。
「俺の心臓にはよぉ〜今じゃぁ毛ぇが生えてんだけどよぉ〜その時は痛んだよ、まだ若けぇからよぉ」

死体をとても直視できない。
亡くなられたかたの腕や足なのか、知る術は無い。
顔がわからなくなっている上半身だったりもする、戦地ではそういう死体が当たり前だから、部位が揃えば御の字なのである。
ろくろく見れもせずに腕を2本持って行く。
「そしたらよぉ、馬鹿野郎!て怒られるんだよな、見てねぇから右ばっか持って来ててよぉ。仕方がねぇから左手〜左手〜て念じながら下向いて探しに行くんだよ、また」
すると向こうから、とても生きた人間とは思えない目をした少年が、死体の部位を抱えて歩いて来るのが見える。
「お〜い!オマエ、左手をどっかで見なかったか〜?」
と声を掛けても反応が無い。
ばかりか耄碌先生の横を素通りしようとする。
耄碌先生が少年の肩をつかむ。
「おい!オマエ大丈夫か?」
我に返った少年に、自分が左腕を探していることを告げると「向こうの方で見たような気がする…」と後ろを指差された。
辺り一面は焼野原。
目印になる建物も無い。
ただただ、下を向いて散らばる死体をひとつひとつ、見ていくしかない。

「そんなことやってたらよぉ、皆おかしくなっちまうんだよな。正気じゃないヤツらが死体を集めるのにソンビのようにそのヘンをフラフラしてんだ」
皆が下を向いて彷徨う。
ハッと我に返って、正気を取り戻すために空を見上げるのだそうだ。
うつろな目をしてクチをポカーンと開けヨダレを垂らし、空を見上げる少年があっちにもこっちにも立っている。

「だから君たちは空がどんだけキレイかっちゅうのを本当は知らねぇんだよ。知らねぇほうがいいぞ、それが平和だ」

戦後に生まれた私たちにとって戦争は過去のものだけど、戦争体験者にとって戦争は死ぬまで現実であるということ。そのようにして生きていかねばならない人生をこれから先、誰にも歩ませてはいけないということ。
そう感じさせてくれるような話を語ってくれる先生がいることは、道徳教育の時間を設けるよりも、確実にひとりひとりの心に良心や善悪の判断を植え付けると思う。

戦後71年、ここらでもう一度、夏休みに「平和図書」を読んで感じたことを作文にさしてみたらどうだろうか。
なにも教師が戦争を語ることのみがひとの死を感じさせるわけではないけれど、いま、戦争経験者が教職にいないのなら、現教諭が小さい頃に聞いた戦争を語ることはできるし、諸外国で見てきた内戦を語ることも出来ると思う。
授業以外のことが心に響くことも多いもの。


■殺人容疑で高2再逮捕=「刺したかった」女性遺棄―茨城県警
(時事通信社 - 07月17日 20:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=4098221
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