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2016年07月02日22:08

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逆照射される9条の重要性

■「日本人だ、撃たないで」 屋外席の客に発砲 ダッカ
(朝日新聞デジタル - 07月02日 20:57)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4073826

こういう事件が起きると、知的に寸足らずな連中がすぐに「平和憲法批判」を始めるのが滑稽である。れっきとした軍隊が存在し、その軍隊が治安出動もできる環境下でこうしたテロ事件が起きたことは、軍事力信者の「抑止力理論」が空論に過ぎなかったことを実例を持って示している。

再三、この日記でも指摘したことだが、テロの時代に軍備強化は無意味なのである。そういう彼我の戦力差の拡大は、むしろテロを呼び込むだけなのだ。まともに戦闘したら勝てないからこそ、テロという戦術が選択されるのだから当然だ。

さらに注目すべきは、この事件の解決に出動したのが警察ではなく「軍」であることだ。前回の日記でも指摘したことだが、軍隊というのはこういう「治安出動」にも用いられる存在なのである。軍事的に弱小な国の軍隊は、対外戦争用というよりもこうした国内出動の実力組織としての性格が強い。

今回のケースは明らかな武装テロへの出動であるが、こういう「治安出動」が国民弾圧のための大義名分に使われて、軍事独裁が進行することは歴史的にも珍しいことではない。日本の9条改憲論者が「軍隊」を語るとき、こうした国内向けの作用はたいがい無視されている。

かつて石破茂は国会前におけるデモについて「テロと変わらない」と評したが、もし日本に気軽に治安出動させられる「軍隊」が存在したならば、石破などは嬉々として出動を命じ、その銃口を国民に向けさせたことだろう。彼にとっては「テロと変わらない」のだからそうしないほうがおかしい。

しかも石破は出撃拒否をした自衛隊員を死刑にできる法律が必要だとの認識も示している。治安出動を命じられて、兵士がそれを拒否しようものなら死刑である。

こういう発想をする石破茂という人間が特殊なのかというと、案外そうでもない。歴史を紐解けば、似たような思考回路をもつ権力者は山ほど見つかるのである。そういう権力者による軍事力の濫用という可能性を直視したとき、その運用を強烈に制約する憲法9条は、まだまだ現代的意味を持っているのである。

しこたま軍事力を蓄えれば国家の安全が担保されると思っている連中は、無邪気すぎる。その溜め込んだ軍事力がそのまま己に銃口を突きつける可能性が常にあるのである。しかも、テロの時代には溜め込んだ軍事力がテロを誘発するという皮肉も無視できない。

9条は所詮いち条文でしかない。したがってそれを守ったからといって、直ちに国の安寧が保証されるわけではない。そういう意味では決して万能の「お守り」ではありえないが、万能ではないという点では軍事力だのみの国防とて同じなのである。

9条には少なくともテロ呼び込むような作用は存在しないし、国民弾圧に使える道具立てを権力者に与える効果もない。軍事力ご自慢の抑止力(笑)がテロによって無効化されるご時世である。憲法を守りもしない権力者が幅を利かせる日本において、憲法9条はますますその重要性を増している。憲法無視の安倍政権が9条の重要性を逆照射するのだから皮肉である。

そしてせっかく照射されているにも関わらず、いまだに「抑止力」の迷信に踊って9条批判を繰り返す連中は、バカを超えて悪質である。
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