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2016年05月26日10:57

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立憲主義を否定している内閣を信任しているなら、国民がナチスだということだ。それでいいのか?

■不信任案提出なら否決=安倍首相と谷垣自民幹事長が確認
(時事通信社 - 05月25日 13:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=4009610

●【立憲主義を否定している内閣を信任しているなら、国民がナチスだということだ。それでいいのか?】

この問いを、政党という、政治のピンサロ嬢が国民という客に言うだろうか?

お客様は神様ですの、商売人が、「てめぇ、この助べえ野郎!顔を洗って出直し来い!」とたたき出すだろうか?

お客様有っての銭儲けだ。

お客様にモノ言ってるのではなく、金ににやけてモノ言っているのが、今の政党だ。

本当に客のことを、「個人」(国家に対峙する「個人」)として認め、「個人」の基本的人権を守るという政治の根本的な認識目的を持って接しているなら、客の差し出した諭吉をおでこなり尻なりにはり付けて叩き出せばいいのだ。

政党が国民の二号なのか、国民が政党の二号なのか知らないが、この伸びたラーメンのような政党と国民の関係は、百害あって一利なしだ。

この伸びたラーメンを誰よりも歓迎しているのは、ナチスだけだ。

国民が味覚に覚醒してしまえば、伸びたラーメンなんか食わない。

本物を求める。

政党と国民の間の緊張関係は、国民主導の正論が引っ張り、政党は国民の後塵を拝して束になって付いてくるしかなくなる。

アホ馬鹿すぼけ、スッポン胡瓜かぼちゃ頭の国民を一網打尽にして人間牧場で飼いならし、労賃も命も自由も人権も、なにもかも金に換えてむしりとって、わが世の春を営んでいる戦争屋・独占資本屋は、破産する。

時計仕掛けのオレンジが、一斉に本物の立派な木になったオレンジになれば、もう、リモートコントロールが効かない。



●国民が政党の後塵を拝するのか、政党が国民の後塵を拝するのか、これは実に重大なことなのだ。

前者は、日本の未来がない。

後者には、ピカピカの日本の未来がある。

だが、日本の現状は、前者だ。


●立憲主義を否定している内閣を信任しているなら、国民がナチスだということだ。それでいいのか?

国民が国民に問え。

国家の目的を、

国家権力の目的を、

主権の意味を、

憲法の目的を、

立憲主義の意味を

democracyの意味を

多数決とdemocracyは≡でないことの事実を

自然権なる基本的人権は、約束定義であり、人類史上空前絶後の重大な価値であることを

事実から価値は論理的推論で演繹できないことを=ナチスの長い舌はこの事実を以ってこの世から消えることを、

大前提に、自然権なる基本的人権という価値を置くことで、結論にも自然権なる基本的人権という価値が出現することとを、

暴力的権力、非合理な権力を廃し、市民的平和権力、市民的平等権力、合理的権力を樹立すればすべての政治問題は解決することを、

国民が国民に啓蒙しろ。


国民の脳内革命が一定の水準に達したら、動き出す。必ず。

【了】



<追記>


■ 時計仕掛けのオレンジってなんだ?これだ→

●【時計仕掛けのオレンジという映画がある。近未来のイギリス映画だが、ある意味、まさに現代の日本人を象徴している。デフォルメしている。】

主人公は、暴走族だ、スーパーで略奪し、麻薬入りミルクを飲んで、喧嘩、強盗に明け暮れる。 ある日ある作家の家に忍び込む。そこで暴力の限りを尽くす。 だが主人公は仲間に裏切られて逮捕される。

その刑務所で、人体実験を受けるのなら刑務所から出してくれるという。 主人公は実験を受け入れる。 その実験とは暴力を自分でしたり、見たりすると、激しい身体的苦痛に襲われるという条件反射を人間に与える実験だった。 その結果主人公は暴力的な若者でなくなる。 原作はこの先がある。

今度はそんな人体実験をやる政府に反対する人たちに彼は利用されることになる。 反政府の人たちは、政府はこんな洗脳みたいなことをしているのだと世間に知らせる為に、主人公を更なる悲劇、自殺に追い込む。

主人公は自殺しようとして窓から飛び降りるが助かって病院で目覚める。 そのときはもう、暴力を見て気分が悪くなる条件反射はなくなっているが、今度は、政府側に、自分を自殺にまで追い込んだ者たちを殺すように命令される。

この主人公は、暴力にしろ何にしろ、自分のやることは自分の意志だと思ってやっているつもりなのだが、実際はすべて管理され、強制され、制御されている。自分は立派な木になったオレンジだと思っているが実はコントロールする何者かがほかにいて、その何者かに自由に動かされている時計仕掛けのオレンジだということだ。

●【実はコントロールする何者かがほかにいて、その何者かに自由に動かされている『時計仕掛けのオレンジ』は、今の現代の日本人の多くにあてはまりはしないか? まさに現舛添批判もその一つだ】

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