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2016年04月21日20:24

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京都3区は日本共産党・寺前巌が議席を獲得した実績を持つ

■衆院京都3区に木村弥生氏=自民
(時事通信社 - 04月21日 13:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=3958124

【木村弥生】
どう見ても京都に受け入れられる要素がないように思うが。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E5%BC%A5%E7%94%9F
*−−−引用開始−−−−−*
木村 弥生(きむら やよい、1965年8月11日 - )は、日本の政治家、看護師。自由民主党所属の衆議院議員(1期)。父は元衆議院議員の木村勉。妹は江東区議会議員の高橋恵海[1]。

来歴

東京都出身、下町で育つ。フェリス女学院大学、慶應義塾大学出身。国会議員秘書を経て、看護師免許を取得し、大学病院に入職。その後、日本看護協会広報部などで勤務し、政策秘書室長を務めた[2]。

2014年12月14日、第47回衆議院議員総選挙において比例北関東ブロック・自民党名簿第34位で出馬し初当選。
政策

選択的夫婦別姓制度導入に賛成。「時代の趨勢と考える」と述べている[3]。
アベノミクスを評価する。[4]
ヘイトスピーチを法律で規制することに反対。[4]

*−−−引用終了−−−−−*

この人物が当選するようなら、京都はずいぶんと軽くなったんだなと思う。
かつては日本共産党が小選挙区制でも勝った実績をもつところだ、京都3区は。

それが宮崎謙介などという、東京生まれの東京育ちが飛び込んできて簡単に当選されるんだから、日本共産党って京都で弱体化しているのだなと思う。。

宮崎謙介(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E8%AC%99%E4%BB%8B
*−−−引用開始−−−−−*
1981年(昭和56年)- 東京都生まれ、2歳〜7歳まで総合商社勤務の父の仕事の都合によりフィリピンで生活[1]。
1999年(平成11年)- 早稲田大学高等学院卒業[1]。
2003年(平成15年)- 早稲田大学商学部卒業[1]。
2003年(平成15年)- 日本生命保険に入社[1]。
2004年(平成16年)- 人材派遣会社のインテリジェンスに転職[1]。
2005年(平成17年)- ITベンチャーのドリコムに転職。
2007年(平成19年)- 株式会社ネオトラディションを創業[2]。
2011年(平成23年)- 親戚がいるため、幼少の頃より馴染みがあった伏見区がある、自民党京都府第三選挙区支部長に選任[1]。
2012年(平成24年)- 第46回衆議院議員総選挙で、自由民主党から出馬し(京都3区)、初当選。
2014年(平成26年)- 第47回衆議院議員総選挙で2回目の当選。


●【京都3区は日本共産党・寺前巌が議席を獲得した実績を持つ】

【寺前巌】
*−−−引用開始−−−−−−*
北海道出身。京都青年師範学校(現、京都教育大学)卒。国鉄機関士を経て、京都府議会議員、衆議院議員(9期)を歴任。この間、党中央委員、幹部会委員、国対委員長、常任幹部会委員、両院議員総会会長を歴任。国会では衆議院運輸委員会などに属した。

1996年10月、第41回衆議院議員総選挙において小選挙区(京都3区)で9期目の当選を果たす。共産党の小選挙区当選者は寺前の他には高知1区の山原健二郎のみであり、寺前と山原の2人以外、共産党候補の小選挙区当選議員は2014年の第47回衆議院議員総選挙において沖縄1区の赤嶺政賢まで現れなかった。2000年第42回衆議院議員総選挙に不出馬で引退。
*−−−引用終了−−−−−−*

北海道出身で、京都教育大を出たことでここに住み着き、共産党の国会議員にまでなったわけですね。

土着の京都人ではないところは違うが、どこか、宇治の山本宣治をほうふつとさせるものがある。
それだけ、京都は共産党色の強いところというイメージが有る。

近年の京都は、共産党が弱体化していることは、蜷川虎三のあと知事が出てない事でも証明されている。

【蜷川虎三】
知事は長らく共産党の推す、蜷川虎三が1950年(昭和25年)から28年間知事を務めた。
(蜷川虎三:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9C%B7%E5%B7%9D%E8%99%8E%E4%B8%89#.E6.94.BF.E6.B2.BB.E5.AE.B6.E3.81.B8.E3.81.AE.E8.BB.A2.E8.BA.AB.E3.80.81.E4.BA.AC.E9.83.BD.E5.BA.9C.E7.9F.A5.E4.BA.8B.E3.81.B8
*−−−引用開始−−−−−*
自民党などもその蜷川知事の出した予算に任期中ずっと賛成していたり、議会内では蜷川知事を褒め称える言動を数々していた事実や、保守支持層の大部分も「高速道路がなくても他と違う京都が良い」「赤くても白くても日々の仕事と生活を豊かにしてくれるトップであれば良い」という理由で蜷川支持にまわっていた。

日本共産党は蜷川府政の知事与党であり、府政を好意的にとらえている。」
*−−−引用終了−−−−−*


●【京都3区の歴史性】

京都3区は、

京都市 伏見区

向日市

長岡京市

乙訓郡 大山崎町


下記を見て分かる通り、
戦後は京都の田舎だったところですね。

長岡町、向日町、大山崎町。

牧歌的な田舎。それが開発されて家が立ち並んだわけだ。

東京も京都もどこの村や町もこうして人間の住むところが広がった。

長岡京市(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B2%A1%E4%BA%AC%E5%B8%82
*−−引用開始−−−−*
市名は長岡京にちなみ、長岡京の南部と一部市域が重なる。 隣接する向日市、大山崎町とともにタケノコの産地として著名。

・・・

1949年(昭和24年)10月1日 新神足村、海印寺村、乙訓村の3村が合併して長岡町となる。
1972年(昭和47年)10月1日 市制施行により長岡市となるが、即日改称[注釈 1] して長岡京市となる。
*−−引用終了−−−−*

向日市(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%91%E6%97%A5%E5%B8%82#.E6.AD.B4.E5.8F.B2
*−−引用開始−−−−*
1889年(明治22年)、町村制施行に伴い向日町が周辺5村(物集女、寺戸、森本、鶏冠井、上植野)と合併。
1972年(昭和47年)10月1日、市制施行

・・・

古くは山城国乙訓郡に属し、長岡京が設置された。市域からは大極殿跡が発掘されている。長岡京が平安京に移されてのちはその後背地として農業を産業の中心とした。古くから乙訓郡の中心地であり、現在も、郡役所の名残である京都府乙訓総合庁舎や、長岡京市、大山崎町、京都市伏見区の一部を管轄する向日町警察署など、周辺地域を代表する施設が設置されている。
*−−引用終了−−−−*

こう人口が膨らんだ町というのは、もう、ぜんぜん人間そのものが蜷川虎三の時代とは違っている。寺前巌なんて名前も知らないだろうし、ましてや山本宣治など知りもしないだろう。



●【近年の京都は、共産党が弱体化している。日本共産党はこの現象をどう分析しているのか????】

大きくは、自民党政権、独占資本の、思想的に人間の脳みそを殺すロボット教育が成功しているということだろう。

反戦も平和もろくに考えない教育がこの町を堕落させているのだろう。

独占資本の作ったものを購買することで欲望を満たすそういう人間が日本に溢れ、
京都も御多分に洩れずにそういう空洞化人間が充満しているということだ。

日本共産党に、人間の劣化現象を食い止め、押し返す能力がないということだ。

その最大の原因は、日本共産党が、マルクス主義のマストが事実上、折れているにもかかわらず、相変わらず、いつかマストが立ちなおせる日が来るだろうと、だろう運転をしていることだ。

折れたマストに変わるNEWマストの建設に、まったく興味も能力も持っていないということだ。

反省がないのである。

一番の反省すべきことは、
【いまや、democracy(人民支配、人民主権)を、マルクス主義から離れて日本国人民に啓蒙するべきだ】という認識が全くない事だ。

マルクス主義は教条的に、摺込まれるものだが、
democracy【人民支配、人民主権】は
人間が、自由に覚醒すること、
人間が、自由が最高の規律であることを自覚すること、
その自覚と表裏一体だ。

日本共産党は、たとえば「公共の福祉」の「公共」を、「common」ではなく、pubの「public」であること、この違いを自覚することが大切だ。

自覚しているのかもしれないが、すくなくとも、一般大衆にそのことは敷衍されていない。

「公共の福祉」を、志位委員長は、「人権の調整概念」などというかたい硬い言いかたをしている。

*−−−−−−−−−−−−*
https://twitter.com/reef100/status/717135617038024704
*−−−−−引用開始−(編集後掲載)−−−−−−−*
志位和夫 ‏@shiikazuo 4月3日

NHK「日曜討論」で自民高村副総裁と。
志位「『自民党改憲案』には『公益及び公の秩序』のために基本的人権を制約できるとある」
高村「それは現憲法の『公共の福祉』を置き換えただけ」
志位「『公共の福祉』は人権の調整概念。『公益及び公の秩序』は国家目的のために人権を縛る。全く違う」。
*−−−−−引用終了−(編集後掲載)−−−−−−−*

これでは、公共の福祉のイメージが絶対に国民に正しく伝わらない。

そこにある、基本的人権の自由というものへの確信、自由が最高の規律であるということが伝わらない。

ひいては、基本的人権の重要さが、本当に国民には敷衍されない。

自由は規制すべきものという、【均質な要素としての、common】が、【公共】として国民にイメージされているかぎり、絶対に、【自由への確信】も、【自由が最高の規律であることへの確信】も、国民には自覚されない。

communismのcomと、commonのcomとがダブル、社会統制のイメージがついて回る。

基本的人権の本当の真価が伝わらない。自由の本当の真価が伝わらない。

それでは、【国家が、人民が作ったものであり、国家建設の認識目的は、人民の基本的人権を守るためのものである】という、近代社会契約の国家の定義も人民には伝わらない。
自覚されない。

【国家権力は、人民が、国家に人民の基本的人権を守るために信託したもの】であり、

【憲法は、人民が国家に国家権力を信託したことと引き換えに、その担保として、人民が国家に約束させたものだ】という、憲法の意義も国民に自覚できない。

こうした、democracy【人民支配、人民主権】の根幹を日本国人民に覚醒させることと、

我が国を、democracy国家に仕上げることとは全く軌を一にする。

日本共産党の最終的な政治理念がdemocracy国家建設のはるか先にあるもので、
その先においてのみ必ず実現するものだと言う認識があるなら、

democracy国家建設は、必ず通過しなければいけないクリティカルパスだ。


即ち、

共産主義の信奉者であろうと、

社会民主主義の信奉者であろうと、

資本主義の信奉者であろうとを問わず、

democracy国家建設は、必ず通過しなければいけないクリティカル・パスだということだ。


日本共産党の最終的な政治理念がも、もしそれが実現するものなら、

democracy国家建設の後の人民にまかせればいいことだ。


日本共産党が今、実現すべきことは、

democracy【人民支配、人民主権】、基本的人権への覚醒、

自由が最高の規律であることの覚醒、

このような脳内革命を、意識革命を、日本に起こすことだ。

日本共産党が共産主義の指導政党になる必要などまったくない。

democracy【人民支配、人民主権】も次元できない人民が、共産主義社会など実現できるはずがないのだ。



近代社会契約を基盤とする近代においては、

democracy【人民支配、人民主権】については、主義主張の立場を超えて日本人民に敷衍すべきものだ。

これを敷衍しなくていい政治勢力は、ナチスだけだ。



選挙で勝つことは、一過性だ。

覚醒無き人民のもとで、

第二の寺前巌が万が一登場しても、

第二の蜷川虎三が万が一登場しても、消える。

元の木阿弥だ。


このdemocracy【人民支配、人民主権】の敷衍の壁を乗り越えない限り、
日本共産党は伸びない。

どんなにファシズムが強烈に吹き荒れても、
やがて日本共産党に代る本物の抵抗勢力が求心力を持つに至る。

それは、その抵抗勢力とは、

democracy【人民支配、人民主権】が、人間が自由に覚醒することと表裏一体であることに覚醒した人間集団だ。政治勢力だ。政党とは限らない。主権者人民の集団だ。

日本共産党自身理解できないでいる最終目標など、今も、この先も、どうでもいいことなのだ。
日本共産党自身理解できないでいる、世界の学者が研究中の共産主義なるものは、
もし、俎上に上るとするなら、はるか未来、democracy【人民支配、人民主権】が樹立した国家になって、初めて俎上に上る問題なのだ。
俎上にさえ上らない可能性もある、額もの進展次第では。

日本共産党は、democracy【人民支配、人民主権】のマストを立てて、出港すべきときだ。

【了】

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