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2016年01月28日04:41

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最凶、最悪の悪役の名台詞(漫画編)

思わずうなる! アニメ・漫画の悪役キャラが放った名言「自分を救えない奴は他人なんか絶対に救えないぞ。」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=121&from=diary&id=3823240

 「アトムは完全じゃないぜ、悪い事ができねぇからな。完全な芸術品といえるロボットなら人間と同じ心を持つはずだ」
 ご存じ『鉄腕アトム/電光人間』から、手塚治虫三大悪役の1人、スカンク草井の名台詞である。

 アニメ・漫画の「悪役」の名台詞ったって、80年代以降、明確にこいつは「悪」だってキャラクターはそんなに登場していないのである。チンピラはいるよ。最初にヒーローの前に出てきて、あっさりやられる噛ませ犬な。たいてい、やられる時の台詞は「バカな!」だ。こういうのは、一応、悪役ではあるけれども、とても「名台詞」を背負って立てるキャラクターではない。
 じゃあラスボスはどうかって言うと、悪の親玉を魅力的に描こうとすると、なぜか悪に徹しきれないで、ヒーローと心が通じ合って味方になっちゃったり、逆にそれまでの悪辣さ卑劣さはどこへやら、急にチンピラ化してあっさりやられたりと、どっちの場合も腰砕けな展開になることが多いのだ。
 『ドラゴンボール』で言えば、ピッコロ、ベジータ、魔神ブゥ(善)が前者で、フリーザ、セル、魔神ブゥ(悪)が後者。『DEATH NOTE』の夜神月は、いいセン行ってたんだが、最後はやっぱりチンケな姿を晒してしまったね。

 なぜ、現代では「悪役」が描けなくなってしまったのか、という分析は、これまでにも識者によって何度となくなされている。現実世界を見渡した時、明確に「悪」と呼べる人間が存在し得るのか、漫画やアニメばかりではなく、小説や戯曲や映画等々、たとえフィクション世界においても、悪のために悪を成すような単純な悪役には、リアリティを感じさせられなくなっていたのだ。
 あの「勧善懲悪」の神話の再生のごとき『スター・ウォーズ』ですら、ダース・ヴェーダ―を悪役にはできなかった。もはや西部劇でインディアンを悪役にできなくなったハリウッドが、宇宙を舞台にすれば何とか善と悪との対決のヒーローものを作れると気づいたことが、全世界を「スペース・オペラ」の渦に巻き込んでいくことになるが、それは同時に映画を「幼稚化」させることにも繋がってしまった。
 同様の現象が、日本でも起きていたことは、記事に挙げられた悪役たちが、みな「チンピラ」ばかりである事実に如実に表れている。彼らには「悪の哲学」があまりにも希薄である。

 マフィアのボスだったはずのスカンク草井も、アトムにやられてどんどんチンピラ化していくことにはなるのだが、初登場時の悪役ぶりは鮮烈だった。「善」の心しか持たないアトムを「不完全」と呼ぶということは、「完全」であるためには「悪」が不可分であると断定していることに他ならない。つまりここには手塚治虫の人間に対する絶対的な絶望が表れている。「悪」こそが人間の本質なのである。
 後に人間たちのロボット虐待に対して憤り、「悪」の心に目覚めたアトムは明言する。

 「人間め!」(『鉄腕アトム/青騎士』)

 かつて「善」の権化であったアトムが、これだけの台詞を吐く。根っからの悪人であるスカンクの台詞よりも、これはその絶望の深さゆえに一層切実でやりきれない。
 手塚治虫が夢やロマンばかりを描いていたと思っている人には、それは大いなる錯覚であると訴えたい。

 手塚治虫チルドレンたちは、この「人間=悪」という哲学を継承し、壮大な「悪の世界」を構築していった。
 その代表が、『サイボーグ009』の石森章太郎である。

 「ブラックゴーストヲ殺スニハ
  地球上ノ人間ゼンブヲ殺サネバナラナイ
  ナゼナラ、ブラックゴーストハ
  人間タチノ心カラ生マレタモノダカラダ
  人間ノ悪ガ 醜イ欲望ガ作リアゲタ怪物(モンスター)ダカラダ!」(『サイボーグ009/地下帝国ヨミ編』)


 人間がいる限り、悪がこの世から消えることはない。
 石森章太郎は、更に『仮面ライダー』では、悪の組織ショッカーと日本政府の癒着を描き、悪が我々の社会の根本を支えてしまっていることを告発した。

 「この計画は、もともとお前たちの政府が始めたものだよ。お前も聞いた事があるはずだ。国民を番号(コード)で整理しようという国会での審議を。 あのコード制というアイデアは、日本政府のコンピューター国化計画の一部なのだ。(中略)恨むのなら日本政府を。そう、自分らで選んだ政府なのだから、自分自身を…」

 しかし、政府による「国民総背番号制」という静かな国民管理と統制を描いた『仮面ライダー』最終話は、ショッカーを壊滅させることなく、連載終了の憂き目に遭う。
 それはさながら、黒澤明が『悪い奴ほどよく眠る』で汚職を告発しようとして「圧力」を受け、物語を中途半端な形で終わらせざるを得なかった状況によく似ていた。この後、石森章太郎の漫画からは「政治性」が急速に失われていく。
 『仮面ライダー』から四十年余、マイナンバー制はろくな反対運動も起きないまま、成立した。現実に遍在した「悪」は、もう「悪」とは呼べなくなってしまっている。
 ブラック・ゴーストは、ショッカーは勝利したのだ。

 「人間=悪」の物語を、最も鮮烈な形で描いたのが、永井豪『デビルマン』。
 登場する悪魔たちは、その悪の本性を露わに、次々と名台詞を発していく。

 「大魔王ゼノン! たった今よりこの家を、妖鳥シレーヌののろいで地獄の館と化してごらんに入れましょうぞ! うつくしき月よ、そなたはこれからおこることを見ないほうがよい。みにくい血でそまりたくないならば。」(シレーヌ)

 「おまえにくらべればおれは善良なもんだ。人間どものいう仏さまのように慈悲ぶかいよ。なんせ、おれは食っただけだからなー。人間の感覚じゃ生き物を食うのはわるいことじゃない、そーだろう。従順でおとなしいウシ、ブタをへいきで食ってるからなー。だが、殺すのはいけないな。生き物を殺すのはいけないことだ。なーっ、そうだろう。だからおれは殺さずに食ったのさ! 殺さずに、殺さずに、食ったのさ...」(ジンメン)

 「ひとりのこらず人間が死に絶えるまで! われわれの攻撃はやまない! きさまも、きさまも、きさまも死ぬのだ!」(ゼノン)

 「おどらされるぞ。おどらされるぞ、日本人全部が。おどらされる、悪魔の笛に、悪魔の太鼓に!狂気のおどりを、死のおどりを。人間の未来をこわす! 地獄のおどりだ!」(飛鳥了)


 しかし、最も卑怯で、最も淫靡で、最も愚劣で、最も悪辣なのは次の台詞である。

 「待ってくれ! おれたちは、こ、殺していない。そうなんだ。おまえたちの仲間を殺していないんだ! お……おれたちのやったやつらはみんな人間だったよ。あはは、そうなんだ。しめあげたけどけっきょく人間ばっかりだったんだ。だ、だから 悪魔を殺してはいないさ…そ、それに、おれたちも、すきでやっているんじゃない。上からの命令なんだ…わかってくれ」(人間たち)

 この卑小さこそが、人間の「悪」の本質なのである。「強大な悪」が現代では描けなくなってしまっているのは、我々が自らの卑小さを自覚してしまったからなのかもしれない。どんなに気宇壮大な野望を口にしようと、それが「普通の人間」の口から発せられたものに過ぎなければ、それはただの誇大妄想、身の程知らずの妄言に過ぎないのである。
 『ONE PIECE』がつまんないのは、悪役がみんなただの卑怯者で、心底悪に徹した魅力的なキャラクターがいないからなんだよね。

 「正義は勝つって?! そりゃあそうだろ 勝者だけが正義だ!!!!」って、こんな後出しジャンケンを正当化するようなチンケな台詞しか吐けないバカに何の魅力があるんだよ。

 「かつて、アレクサンダー大王がナポレオンが、そしてヒットラーが! 成し遂げれなかった世界征服をこのDr.ヘルが成し遂げるのだ!!」(『マジンガーZ』)

 せめてこれくらいの台詞は言ってほしいよ。本当に悪役なら。
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