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2015年10月17日13:24

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黒博物館 ゴーストアンドレディ

黒博物館 ゴースト アンド レディ 上 (モーニング KC) 藤田和日郎:著
http://kc.kodansha.co.jp/product?isbn=9784063884777
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4063884775/bookmeter_image-22/ref=nosim?SubscriptionId=170JSBBNXFAZPE36Q782&tag=bookmeter_image-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4063884775 
黒博物館 ゴースト アンド レディ 下 (モーニング KC) 藤田和日郎:著
http://kc.kodansha.co.jp/product?isbn=9784063884784 
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4063884783/bookmeter_image-22/ref=nosim?SubscriptionId=170JSBBNXFAZPE36Q782&tag=bookmeter_image-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4063884783 

http://morning.moae.jp/lineup/444

凄い漫画を読んだ。恐らく、自分が読んだり見たりした「書籍」のみならず「漫画」「アニメ」「ライトノベル」等の全てのジャンルを合わせて、2015年、いや、この2〜3年(下手したら4〜5年)の中で最も強烈な印象・衝撃・ワクワク感etc..に浸った2巻セットだ。
上下2巻合わせて約600ページもある。しかし、私はその全ページを1時間半〜2時間ほどで読了してしまった。読んでいる最中はこの全600ページだけに集中し、しかも戦争と人間のスペクタクル映画を見ている感覚だった。

この漫画の主人公は、誰もが知ってるあの歴史上の「偉人」、フロレンス・ナイチンゲールである。昔から子供向け伝記で取り上げられる常連の人物である。
歴史上の人物をフィクションの題材として取り上げられる例は、色んなジャンルで古今東西広く行われてきたが、ナイチンゲールに関しては、何故か取り上げられることがほぼ皆無だった。例外的だったのが、児童文学「マジック・ツリーハウス」シリーズの第37巻「砂漠のナイチンゲール」http://www.kadokawa.co.jp/product/301306000728/ http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%84%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9-%E7%AC%AC37%E5%B7%BB-%E7%A0%82%E6%BC%A0%E3%81%AE%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%AB-37/dp/4040671651 があるが、これは子供向けの「ファンタジー」であり、しかもナイチンゲールは主人公ではなくその巻のゲスト出演という形だ。
フロレンス・ナイチンゲールという人物は、昔から数多の子供向け伝記で「クリミアの天使」「ランプを持つ淑女」というイメージが完全に定着し、大方の老若男女もその見方が生涯維持され続けている。一方で、大人向けの伝記は決して豊富ではなく、しかも売られている場所が大型書店の医学書売り場の看護学コーナーにあるので、看護学生・看護師以外にはほぼ縁のないものとのなってしまっている。ナイチンゲール本人が書いた著作物ならなおさらである。一方で、こういう「大人向け」のナイチンゲールの本は、決して易々と読める代物ではなく、非常に冗長かつ難解で、ペースが進む度にイライラしてくるものだ。ドラマチックでもあり子供向け伝記が根底から覆される内容なのだが。

「ゴーストアンドレディ」は、そんなナイチンゲールを真正面から取り上げ、主人公にしている。下巻巻末に「参考文献」の一覧表があり、著者藤田和日郎氏はこれらの文献を相当読み込んだ上で「史実」をベースとしながらも、読者をグッと引き込んでそのドラマの中に巻き込んでいる「フィクション」に仕立て上げている。
今までナイチンゲールを題材にしたフィクションは、子供向け伝記でのイメージが完全に定着し覆し難いものとなってしまっているため、フィクションにすること自体が「タブー」だったのかもしれない。また、ナイチンゲールの史料に関しては、自分自身が残した大量の書簡を始め膨大なものがあり、生涯そのものは明らかになっているので、数少ない「大人向け」の本を読んだ人にもフィクションにし難いものがあったのだろう。そんな「タブー」をよくぞ打ち破った漫画を描いた藤田氏には、ただただ驚愕するばかりである。

「ゴーストアンドレディ」は、ナイチンゲールの生涯のうち、1852年12月7日〜1856年3月24日までの物語である。従って、物語の主な舞台は他でもないクリミア戦争中のものである。しかし、そこに描かれている「クリミア戦争」の様は、数多の子供向け伝記にあるような描写ではない。麻酔なしの脚の切断手術で患者を押さえつけるナイチンゲール、当然大量の血しぶきが乱舞しナイチンゲール自身も大量の血しぶきを浴びる。見ているだけで鼻がもげそうな汚物の海と化している便所掃除(汚物さらい)。ナイチンゲール自身が夜の見回り中に兵士の集団に乱暴されそうになる。ナイチンゲール自身の心理描写としてナイチンゲールのヌードシーンが随所にある・・etc..、凡そ子供向け伝記では描写できない内容を、藤田氏は週刊漫画誌である「モーニング」で描き続けてきた。週刊ペースでよくこれほどまでのものが描けるのだと、読者は驚愕するであろう。

さて、物語のクライマックスである1856年3月24日のシーンでは、「ナイチンゲール暗殺部隊」なるものがナイチンゲールを襲撃し、ナイチンゲール自身もライフルを持って銃弾をぶっ放すところがあるが、これは明らかに「フィクション」である。ナイチンゲールの大人向けの伝記を読む限り、「ナイチンゲール暗殺部隊」なるものは存在しなかったそうだし、ナイチンゲール自身はライフルを構えることはなかったそうだ。ただ、「言っておきますがここの役人たちの中にできれば私を「ジャンヌダルクのように焼き殺してやりたい」と願わないものは一人もいませんよ」と語ったのは実話である。
物語が前に戻るが、史実では1855年5月にナイチンゲールは「クリミア熱」に罹患し2週間生死の淵を彷徨ったが、「ゴーストアンドレディ」では、幽霊に狙撃されたことになっている。これもフィクションではあるが、物語を構成する上で「狙撃」されることは重要な意味を持っているものになっている。

物語のラストは、1910年8月13日のナイチンゲールの臨終の時である。このシーンは、上巻の一ページ目から読み込んできた読者にとっては、涙なしでは読めないだろう。

「ゴーストアンドレディ」では、1856年3月24日から1910年8月13日へと54年も飛んでしまう。クリミア戦争後のナイチンゲールは、史実では英国陸軍とインドの衛生改革が最大のテーマであり、「看護」は二の次・三の次以下でしかなかった。クリミア戦争中でも、「ゴーストアンドレディ」下巻にあるように「今や「看護」は私に求められている仕事の中でほんの一部を占めるにすぎなくなってしまいました」とあり、戦後を「予告」しているようなものだ。
最終話の臨終のシーンでも、「でも 私はあれから人に酷いことをし続けてきました・・・医療の改革を目的に・・・人を人とも思わずに働かせ圧力をかけて・・・シドニー・ハーバートもサザランド博士も・・メイ叔母様も・・・みな疲れさせ殺してしまったようなもの・・・」ともう一人の主人公「グレイ」に語っている。この時期のナイチンゲールに関して大人向けの伝記を読むと、ガチでイライラしか感じられてこない。それが延々と続きいつまでたっても「先」の見えない暗澹とした描写ばかりが続き、さらにはナイチンゲール自身も重度のノイローゼで死にそうになり、1910年8月13日に死ぬまでほぼ寝たきりの生活になってしまうのだ。そのシーンは、「ゴーストアンドレディ」では、描かれなくてよかったのかもしれない。それはそれで読者の「想像」「妄想」に任せればいいのだろう。むしろ描いてしまった方が、藤田氏らしくなくなりまとまりのつかなくなる「物語」に堕ちてしまう可能性だってある。「フィクション」とするのなら、ライフルをぶっ放してから54年後に「お迎えが来る」というのが、ドラマチックだろうと思われる。アラフォ―からの寝たきりの生活で「グレイ」を想い起すのもなんだかなぁと言えよう。

下巻巻末に「参考文献」のリストもあり、私も読んだことのあるナイチンゲール関連文献がいくつか掲載されていた。また、「ナイチンゲール 神話と事実(原題:復讐の天使)」「人と思想 ナイチンゲール」「真理の探究」など、「ゴーストアンドレディ」では採用されなかったナイチンゲール関連文献も読んできた。私はこれらの文献をかつて読んだ上で、2015年、「ゴーストアンドレディ」を読んだものだった。これらの文献を読んで予備知識を得た上で「ゴーストアンドレディ」を読むのは、何も予備知識のないまま「ゴーストアンドレディ」を読んだ人とは、どう読了後の感想が異なるのだろう?私の場合は、ナイチンゲールの著作物に関しては、あの「看護覚え書き」だって、「真理の探究」を読了後に初めて読んだものだった。

昨今の子供向け伝記では、巻末に併せて読んでおきたい・大人になったらぜひお勧めしたいその人物の関連書物を紹介するページがあるものが少なくない。今年も新しいナイチンゲールの子供向け伝記漫画が発行された。子供向け伝記は、ロングセラーとなり続けているものもある一方で、毎年どこかの出版社が「新しい形」で出しているものだ。ナイチンゲールの子供向け伝記でも、これからも刊行され続けると思われる。その時には、巻末の併せて読んでおきたい・大人になったらぜひお勧めしたい関連書物の一つに、この「ゴーストアンドレディ」が取り上げられるのもいいだろう。「フィクション」ではあるものの、極めて「史実」に忠実に描くことをベースにしており、しかも「漫画」という媒体であり、活字だけよりはるかにドラマチックなだけでなく「分かりやすさ」も兼ね備えているからだ。

「ゴーストアンドレディ」では、ナイチンゲールはもう一人の主人公「グレイ」に、「私が絶望したら私を取り殺してほしい」というのが物語の根底にある。上巻では、「グレイ」はナイチンゲールの「絶望」をひたすら望み取り殺す瞬間を心待ちにしている。しかし、ナイチンゲールはそう簡単に「絶望」しなかった。下巻に進むに当たり、ナイチンゲールと「グレイ」の関係は上巻とは変わってくる。「グレイ」はナイチンゲールの大事な「味方」となるのだ。果たして最終話、臨終の時に、「私が絶望したら私を取り殺してほしい」という願いは叶えられるのか。一方で、「私が絶望したら私を取り殺してほしい」というナイチンゲールの願望がある以上、前述のようにクリミア戦争後のことは描かれなくて良かったと思う。大人向け伝記にあるようなあのイライラする暗澹とした描写しか続かない「ノイローゼ」になったナイチンゲール、「グレイ」は決して「味方」にはなってくれなかったに違いないし、この漫画の「まとまり」がなくなってしまう。

「ゴーストアンドレディ」は、英国政府観光庁でも取り上げられたそうだ。
http://ameblo.jp/britain-park/day-20150723.html 

「凄い」「驚愕」「衝撃」「ワクワク感」、このような語彙でしか他に表現のしようがない「ゴーストアンドレディ」、中日新聞でも2015年10月10日(土)の夕刊で紹介された。今までいくつかの「大人向けナイチンゲール本」を読んできたものだったが、正直、私はこの中日新聞の記事で初めて「ゴーストアンドレディ」の存在を知り、10月の三連休の間に書店で購入して一気に読了したものだった。この記事には、ただ深く感謝したい。

決して聖人でもなければ天使とも言い難いのが実情のナイチンゲール。藤田氏も下巻「あとがき」で「調べれば調べるほど、もの凄いエピソードが出てきます。」と述べている。子供向け伝記の鉄板なイメージから脱却し、何故そしてどのようにあのような狂気的な90年の人生を歩んできたのか、それを知るのに是非とも読みたい「ナイチンゲール伝」だ。

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