mixiユーザー(id:58494903)

2015年06月10日11:26

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ありえないと思うんだけど

時々、ふと疑問に感じることがある。
被害者家族が手記を出すのはまだわかるけど加害者側の家族が
手記を出すってどうなの?
ま〜その目的が被害者家族への賠償というんならまだほんの少し理解できる気が
しなくもないけど・・・・・
ましてや、加害者本人が手記を綴るってどうなの?
まさかとは思うけど、このことを被害者家族にいってない・・・・
なんてこことはないよな?
でないと傷口にが開き、また被害者家族を苦しめることになる。
『批判が多いけど』っていうコメントもあるけど、良心が少しでも残っているなら・・・・・自分が表舞台に出ることが被害者遺族を苦しめることになる。
だからこそ、その苦しみは自らが抱えたまま、ひっそりと人知れず暮らし、
自分がしたことを自問自答続け、答えを出さなきゃいけないんだと思うものだと
思うんだけどね。
これだけ批判されるのは、それだけ自分が社会に与えた衝撃が強いということ。
ましてや被害者遺族に与えた悲しみや苦しみは、社会に与えた衝撃など比較にならないほど大きいと自覚すべきだろう。
刑務所をでました。罪は償いました。自分も人間だから生きる権利があります。
そんな簡単なもんじゃあないだろう。
刑罰は邦画決めたお仕置きみたいなもの。しかしお仕置きを受けたからといって
自己反省しそこから
さらにどうすべきか考えなくては刑罰も意味をなさない。
『罪を償い続けろ』とかいう意味ではなく、『あなたは痛みそのものなんなです。』
『苦痛そのものなんです』『だからこそ表舞台に出るべきじゃあない』
反感を買えば反省していないととられ、のことがすべて嘘のように感じてしまう。
それに対する強い不快感や怒り..........社会に波風を立てていることが
あなた自身の評価を下げているんです。
あなたはかって人の命をおもちゃにし、奪い、遺族に深い悲しみを与えた。
贖罪のつもりで本を書いたつもりでも、そのことでまた社会に波風を立ててしまう。
たとえ贖罪の気持ちがあろうと、自分がいかに反省を深めようと、
そのことすら表に出すべきじゃあないんです。
なぜなら『ほらほら、僕はこれだけ反省してるんだよ』っていう虚栄心からの悪ふざけ
しているようにとられてしまいかねないから。

『いい』『悪い』ではなく『社会に波風をたてれば、これまでの贖罪の気持ちすら
中身のないものにしてしまうんだよ』っていう話。
それはあなた自身のためにもならないでしょ?っていう話なんだよね



■神戸連続児童殺傷事件、元少年が手記出版
(朝日新聞デジタル - 06月10日 05:10)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3458892
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