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2015年05月27日07:17

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「新発見!?「嫌いな人はどこに行ってもいる法則」 仮称『菅野直基の法則』」

http://9001.teacup.com/sfk/bbs/15758 (写真入り記事)

世の中にはいろいろな法則があります。その中で、科学的かと聞かれたら微妙ですが、「嫌いな人はどこに行ってもいる法則」があると思います。仮に、「菅野直基の法則」としました。

誰にでも、少なくても2〜3人は、「この人さえいなければいいのに!」と思うような、苦手なタイプがいるものです。

ある人は考えました。「そうだ。嫌な人を排除したらいいんだ!」

グループの中から、嫌な人を追い出しました。

「さあ、これからは天国のように楽しくなるはず!」と期待しました。

しかしどうでしょう。今まで「いい!」と思っていた人が、いつの間にか嫌なタイプの人に変身してしまいました。

また嫌な人を追い出しました。いつの間にか、「いい!」と思っていた人が嫌なタイプの人に変身していました。

「らっきょの皮むき」のように、追い出しても追い出しても、嫌な人がいなくなるどころか、「いい!」と思っていた人が嫌な人に変身し、気がついたら友達がいなくなってしまって、ついに追い出す必要もなくなってしまったそうです。

私は、1971年生まれなので、実際はあまりよく知りませんが、1971年から1972年にかけて活動し、「あさま山荘事件」や「山岳ベース事件」などを起した「連合赤軍」のことを思い出しました。

連合赤軍は、警察の捜査網から逃れるため、山の中に「山岳ベース」と呼ばれる山小屋を建設して潜伏している時、「総括」と称して、連合赤軍内部での「粛清」が行われました。粛清は集団リンチという形で、12名もの仲間を殺害しました。

連合赤軍の粛清は、「こいつさえいなくなれば、本当の純粋な革命団体になる!」と思って、集団リンチで殺して行ったのでしょう。しかし、そうすると、今まで「いい仲間!」だと思っていた人が、「ダメな奴!」に見えて来て、結局、12名もの仲間を殺すに至ってしまったのだと推測します。

私は、経験上、どんな組織、どんな集団、どんな共同体にも、「嫌いな人がどこに行ってもいる法則」があると思います。

その時に、「嫌いな人を排除する」のではなく、「嫌いと思う愛の無い心を排除する」ことが懸命だと思います。

もう少し掘り下げると、人を見て、「こいつ嫌な奴!」と思う時は、自分の中にある、自分の嫌いな部分を相手の中に見ているものです。

私は、牧師になってから、人間の心の深い部分に触れる機会が何度もありました。不思議に思うことは、誰かを非難したり、批判する人は、その相手と同じものを、知ってか知らずか、持っているということです。

「あいつはうるさい!おしゃべりだ!口が軽すぎる!黙れ!」と言っていた人が、違う場面になった時に、とてもおしゃべりで、ほかの人にしゃべるすきを与えないほど一人でしゃべっているのです。

「すいかの反対は?」「かいす(返す)」ですが、人に言う前に、まず、自分に向かって言った方がいいと思います。

相手の人の中に嫌な部分を見つけたとしたら、「自分の中にも同じもの、同じ性質があるかも知れない!?」と考えて、吟味してから相手に伝えても遅くありません。

つまり、自分の中に、嫌いな相手と同じもの、同じ性質を見つけ出し、その自分を否定しないで認め、受け入れたら、同じものを持っている相手に寛容になり、受け入れることができ、場合によっては、自分と似ている相手を好きになることさえあり得ます。

「自分にも同じもの、同じ性質があるのではないか!?」と吟味し、自分と向き合ってから注意したら、その言葉は謙遜であり、優しくなり、上から目線ではないので、相手の心に素直に入って行きます。

しかし、自分には落ち度がなく、「あなたは間違っている!」と上から目線での注意は、たいてい反発が帰って来ます。

聖書には、「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください』などとどうして言うのですか。見なさい。自分の目には梁があるではありませんか。偽善者よ。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。」(マタイ7:1〜5)と書かれています。

「嫌いな人がどこに行ってもいる法則」はあります。

「嫌いな人を排除する」のではなく、「嫌いな人を排除しようとする自分の心の問題」を解決しましょう。

自分の中にある、相手の嫌いな部分と同じものや性質を認め、罪であるならば、神に悔い改め、きよめて頂き、その後に相手を見たら、嫌いだったはずが、「嫌い!」と感じなくなったり、大好きな人に変わってしまっているかも知れません。

幸せな一日でありますように。

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