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2015年01月26日13:19

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【珍説・デマ】マッカーサーの告白(又は謝罪)

 先日、軍事・戦争コミュの質問トピックス(参照http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=35238&page=11&id=73942760)にて、まぁーあーさんと言う方の質問に答えておりました。 まぁーあーさんとの会話の流れ的には、以下の如し。

(471;まぁーあー)「真珠湾攻撃が、なければアメリカは、開戦は なかったのですか?」

(472;鉄底海峡)「少なくとも、あの時点で開戦する理由が有りませんね(中略)
           裏口参戦論(アメリカは英国を助けるために、対独参戦の口実として日本との
           戦争を欲していたというもの。)などもありますが、それはドイツがソ連に侵攻
           した段階で必要が無くなってます。(中略)
           またそもそも論として、日本と開戦したからと言って対独戦が始められるわけ
           ではありません。三国同盟は自動参戦条項がなく、日本と戦争になったから
           と言ってそのままドイツと戦争を始められるとは限らないのです。 」

(474;まぁーあー)「やはり アメリカは、真珠湾攻撃が、なければ参戦は、なく イギリス
            チャーチル首相は、相当イラついたと、思います。」

(479;鉄底海峡)「いや、別にいらつかないと思いますよ。既に説明した通り同盟に自動参戦条
           項はなく、日米戦争が勃発したとしても、アメリカが対独戦を開始できるわけ
           じゃありません。」

(482;まぁーあー)「アメリカは、チャーチル首相から参戦要請受けて いました 。しかし公約が、
            ある為 参戦できません(中略)
            そこで アメリカ領土攻撃されれば、国民は、参戦の意見が、多くなります。」

(483;鉄底海峡)「それで可能になるのは対日参戦ですね、英国が望んでいた対独参戦ではな
           い。」

(508;まぁーあー)「195 1年5 日3日
            マッカーサー告白の1つにあります
            チャーチルにたのまれ対独参戦の口実の為日本を対米戦争においこんだ」

(514;鉄底海峡)「何か勘違いされておられるようですが、マッカーサーはそのような事に関知出
           来る立場にありませんでした。フィリピンに軍事顧問として赴任していたのです
           から。」

(515;まぁーあー)「マッカーサーの告白(謝罪)1951年5月3日
            ですよ。フィリピン軍事顧問?はい何が言いたいのか?」


 ここで初めて、「マッカーサーの告白(又は謝罪)」なるものが存在する事を知りました。ググってみた結果、その内容は、以下のようなものです。



===============マッカーサーの告白================

日本の皆さん、先の大戦はアメリカが悪かったのです。日本は何も悪くありません。日本は自衛戦争をしたのです。イギリスのチャーチルに頼まれて、対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込んだのです。アメリカは日本を戦争に誘い込むためにイジメにイジメぬきました。そして最後通牒としてハルノートを突き付けました。中国大陸から出て行けだの、石油を輸入させないなど、アメリカに何の権利があったというのでしょう。当時、アジアのほとんどの国が白人の植民地でした。白人はよくて日本人は許さなかったのです。ハルノートのことは、私もアメリカの国民も知りませんでした。あんな物を突き付けられたら、どんな小さな国でも戦争に立ち上がるでしょう。戦争になれば圧倒的な武力でアメリカが勝つことは戦う前から分かっていました。我々は戦後、日本が二度と白人支配の脅威とならないよう周到な計画を建てました。アメリカは知っていたのです。国を弱体化する一番の方法はその国から自信と誇りを奪い、歴史を捏造することだと。
戦後アメリカはそれを忠実に実行していきました。日本がアジアを白人の植民地から解放しようとしたという本当の理由を隠すため大東亜戦争という名称を禁止し代わりに太平洋戦争という名称を使わせました。
東京裁判はお芝居だったのです。アメリカが作った憲法を日本に押し付け、戦争ができない国にしました。公職追放をしてまともな日本人を追い払い、代わりに反日的な左翼分子を大学など要職にばら撒きました。
その教え子たちが今マスコミ・政界などで反日活動をしているのです。
徹底的に検閲を行い、アメリカにとって都合の悪い情報は日本国民に知らせないようにしました。ラジオ・テレビを使って戦前の日本は悪い国だった、戦争に負けて良かったのだと日本国民を騙しました。これらの政策が功を奏し今に至るまで独立国として自立できない状態が続いているのです。
私は反省しています。自虐史観を持つべきは、日本ではなくアメリカなのです。戦争終結に不必要な原子爆弾を二つも使って何十万人という民間人を虐殺しました。最後に私が生きていた時の証言を記して謝罪の言葉としたいと思います。
私は日本について誤解をしていました。日本の戦争の目的は侵略ではなく自衛のためだったのです。太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の過ちは、共産主義を中国において強大にさせたことでした。東京裁判は誤りだったのです。
日本は八千万人に近い膨大な人口を抱え、その半分が農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまで接した何れにも劣らぬ優秀なものです。
歴史上のどの時点においてか、日本の労働力は人間が怠けているときよりも働き、生産している時の方が幸福なのだということ、つまり労働の尊厳と呼んでよいようなものを発見していたのです。
これまで巨大な労働力を持っているということは、彼らには何か働くための材料が必要だという事を意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有していました。しかし彼らには手を加えるべき材料を得ることができませんでした。
日本原産の動植物は、蚕を除いてほとんどないも同然でした。綿がない、羊毛がない、石油の産出がない。錫がない、ゴムがない、他にもないものばかりでした。その全てがアジアの海域に存在したのです。
もしこれらの原料の供給を絶ちきられたら一千万から一千二百万の失業者が日本に発生するであろうことを彼らは恐れたのです。
したがって日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです」

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 まあ、ちょっと考えればいろいろおかしなところが有る事が分かると思います。例えばアメリカ上院の外交軍事合同委員会で、なぜに日本人に対して話しかけているのかとか、当時自虐史観なる言葉が有ったのかとかね。結論を先に言えば案の定、事実を織り交ぜてあるものの出鱈目な内容でした。
 上記の内容は1951年5月3日のアメリカ上院における、軍事外交合同委員会公聴会での発言とされておりますが、実は産経の雑誌「正論」が過去(2004年)にそれを取り上げており、正論のWeb版には、その公式記録がUPされてたりします。

○1951年5月3日アメリカ上院外交軍事合同委員会公聴会公式記録(正論Web版より)
http://www.sankei.co.jp/seiron/maca/2004/maca/01/MacArthur57.html

 上記のマッカーサーの告白における該当部分を翻訳すると、おおよそ以下のような内容になります。



=================公聴会記録翻訳================
 
【 第二次大戦時の対日戦略 】
ヒッケンルーパー上院議員(質問5):中共に対する海空封鎖という貴殿の提案は、米国が太平洋戦争で日本に勝利をおさめた時の戦略と同じではないですか?

マッカーサー将軍:その通りです。太平洋戦争における我が軍の作戦は、迂回し、そして包囲するというものでした。日本には当時、4つの島におよそ8000万人という人口が密集していました。半数が農業、あとの半数は工業従事者です。
日本という国はもともと、質量ともに非常に高い労働力を有しています。人間は怠けている時よりも額に汗しているときのほうが幸せなのだという、いわゆる労働を尊ぶ精神というものを、いつからか日本人は身に着けてきたようです。
大きな労働力を有するということは、つまり、それに見合うだけの仕事が必要なわけですが、工場を建て、労働者がいても、日本には原料がありませんでした。実際、養蚕意外、日本原産と言えるものは何も無かったのです。日本には綿も羊毛も、石油製品、スズ、ゴム、その他多くの資源がありません。そして、アジア海域にはそれらの全てがありました。
原料の供給を断たれれば、国内で1000〜1200万人が職を失います。これは日本にとって死活問題でした。つまり、その危機(筆者注;「マッカーサーの告白」では“security”を安全保障と訳してるが、前文との繋がりを見れば失業対策としての治安維持と言う意味であるのは明白)回避することが、日本が戦争に打って出た主たる目的だったのです。
 マレー、インドネシア、フィリピンなど、自国の製造業に必要な原料の産出国を、日本軍は周到な準備のうえ、奇襲し、占領しました。このときの日本の戦略は、太平洋の島々を陣地として確保し、我々がそれらの奪還に大きな犠牲を払うのを躊躇するよう仕向けることによって、日本が占領地から原料を確保できるようにする、というものです。そこで我々は新たな戦略を立てました。日本軍の占領した地域をわざと避け、その背後にまわり、そっと気づかれぬよう忍び寄っては、占領地と日本の間の補給線を脅かし続けました。
フィリピンと沖縄を制圧した時点で、制海権を失った日本軍は、補給路を完全に絶たれました。この時点で、日本の敗戦が決定したと言っていいでしょう。
降伏時、日本には少なくとも300万の兵力があったはずですが、既に戦争続行のための物資はなく、防衛のための兵力を結集させる余力もありませんでした。我々の前にもはや敵はいなかったのです。こうして、精鋭を誇る日本軍も遂に降伏やむなきに至りました。
当時、太平洋上に展開していた日本の兵力は、おそらく通常の3分の1にも満たない数だったはずです。つまり、封鎖され、経済網が崩壊したことにより日本軍は、その程度の量の補給物資さえも供給することが出来ず、ついには降伏するに至ったのです。

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 これに騙されるような人は、騙されたがってる人であると思うよ、私は。かなり程度の低い、デマ情報と言えるでしょう。
 

 

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