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2012年02月27日06:38

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「共喰い」「将棋のチカラ」、&文学と奥井潔

 図書館本(と言うか雑誌に掲載)で「共喰い」を読了。先日芥川賞を取り、作者の不機嫌記者会見で話題になった作。

 読後感がやたら不快。確かに文章はとても上手いんだけど。扱ってるテーマが。。。また、主人公・恋人・母親は良く描けているんだけど、父親が理解不能なモンスターとしてしか描けていない。父親の愛人もワケワカラズ。あんな、化け物のような性欲と暴力の権化がいるの?いやいるんでしょうけど、レア過ぎてリアリティがない。

 文章が上手なだけの作品、と言う印象でした。人間を描けてるの?この作品。これなら、昨年の芥川賞受賞者・西村の作品の方がずっと普遍性がある。




 図書館本「将棋のチカラ」を読了。新進気鋭の阿久津七段が将棋と、棋士の素顔について綴ったエッセイ。気軽に楽しく読めました。




 週刊金曜日。奥井潔(有名な予備校&大学英語講師。故人)を扱った文章が見開きで載っていた。彼のことを絶賛する内容だったけど、彼がそんなに優れているの?私は大学教養で教わったことがあるけど、理系学生に韻文を読ませて、ヒジョーに鬱陶しかった覚えがある。私が当てられ、巻末の注を踏まえた訳を(数日間予習して四苦八苦して作った、でも極めて拙い訳を)答えたら。「オマエは注を信じるのか馬鹿ものっ!やる気無いのかっ!興味無いのかっ!何のためのオレの授業を取ってるんだっ!」と叱られたっけ。

 理科系学生が、英米人の韻文になんか、興味あるワケないじゃんっ!日本の詩文にだって興味ないのに。何のために、って、必修の授業で指定されているから仕方なく、に決まってるじゃん!馬鹿かぁ。
   ※ 古びた池に蛙が飛び込んだって、「それがどうしたの?」としか
    思わないのが理系人間。
こいつ、上記雑誌記事にも載っていたけど、「文学や芸術が人間の生きるための原理となる」と信じ込んでいて、ヒジョーに鬱陶しかった。文学や芸術が役に立つような人もいるかもしれないけど、そんなの普遍性なんかない。文学や芸術がまったく人生に役に立たない、私みたいな人もいるのに。

 人間観が狭すぎる馬鹿教師。歪んだ自己陶酔に満ちた、クダラナイ浅はかな授業をやって、心底ゲンナリしたっけ。英語の解説をせず、読んだ詩について自己陶酔に満ち満ちた感想を言うだけ、あるいは稚拙な三文人生論を講釈垂れるだけの、馬鹿みたいな授業をするんだよね。あんなんで給料貰うなっ!英語を教えろ!しかも、実用性皆無の韻文ではなく、普通の散文を読む授業をしなよっ!あんたは演歌作詞者か?英語教師なんでしょ!?


 思うに、純文学や芸術って、人生と関わり合うことは、仮にあってもホンの少しだけ。圧倒的に多面的な人生の、ホンの一部にかすりでもしたら、それは(そう言う側面の)名作なんだと思う。

 でも、そんなことはごくごくマレにしか起きないし、かするかどうかは人によって激しく異なるし。なので、大量の文学作品・芸術作品に触れたとしても、人生について得られる物は僅かだけ。文学や芸術の価値は、人生云々だけにあるワケじゃないから、別にそれで問題ない、良いのに。

 ちなみに、芥川賞系の文学(つまり純文学)も。多くが私にとってツマラナイのは、私の人生とは交わらない・かすらないからもあると思う。ってか、審査員ウケを狙ってか?そう言う側面を目指し過ぎる作品もあるのかもしれない。クダラナイ。上記「共喰い」もそんなニオイがする。で、マジョリティ受けを狙うので、マイナー感性の私にはまったくウケない。

 そゆ、「(ありがちな)人生」とか「(うさんくさく浅薄な)真実」とかから離れた、一種の広義の美を目指せば良いのに→純文学。

 取りあえず、奥井的な馬鹿教師は絶滅せよ。
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