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2011年12月26日21:40

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ナイチンゲール流「まあまあ好きな人とは付き合うのをやめる。」

「まあまあ好きな人」は必要か。成功者が付き合う人
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1859110&media_id=90

「まあまあ好きな人とは付き合うのをやめる。」

完全な意味での成功者かどうかかの評価は別として、「まあまあ好きな人とは付き合うのをやめる。」を完璧にまで最大限に活用し「英陸軍とインド衛生問題に関する仕事上とその時期の生活全般では」功を奏したのは、他ならぬフロレンス・ナイチンゲールではなかろうか?

青年期から壮年期にかけて、兎に角次々と踏んだり蹴ったり・一難去って二難三難を招き呼び寄せる女・強迫観念の塊であったナイチンゲールは、特にクリミア戦争後は、若くして寝たきりの身となり、自分の仕事上どころかプライベートでも「まあまあ好きな人とは付き合うのをやめる。」という主義を完璧にまで徹底させ、自分の仕事・生活にとって関係ない人は会うのを頑なに拒絶していた。仕事上ナイチンゲールに面会に訪れた人物でさえ、直接声を通す会話ではなく筆談でさせられたというのも凄まじいものだ。しかもナイチンゲールにとって「妥協」は「イコール敗北」であり、自分の主義主張を100%以上完璧なまで通さないと気が済まない気性の持ち主だったため、普段の生活上はもとより仕事上でも関係ない「まあまあ好きな人」は邪魔以外の何物でもなかった、というか、ナイチンゲールにとって「まあまあ好きな人」はいなかった・抹殺しようとしていたというのだから、その辺りは、そういうことが書かれている伝記を読むと恐ろしくなってくる。その一方で、ナイチンゲールは「孤独なヒロイン」という側面も垣間見えてくる。

ただそれは、あくまで、クリミア戦争後のナイチンゲールにとって最大の課題だった英陸軍改革とインド衛生改革の仕事とその時期の生活全般の上であって、還暦を過ぎ、クリミア戦争後は二の次三の次以下でしかなかった病院問題に取り組むようになってからは、面会予約や面会ルール等々厳しい掟があったものの、看護学生を始め「人と会う」ようになり、体形とともに「丸く」なっていったのだ。だからこそ、晩年に日本人の津田梅子とも会って、いろいろ日本のことを津田梅子に質問したり帰り際に津田梅子に押し花の手紙を渡したエピソードが生まれたのである。

「まあまあ好きな人とは付き合うのをやめる。」ナイチンゲールの伝説的な一人歩きしているイメージからは想像できないかもしれないが、「仕事の鬼」であったナイチンゲールの生き方は、その思考回路・思考様式も含めて、ある面では手本にもなるしある面では反面教師にもなる、なかなか興味深いものである。


主要参考文献
・「フロレンス・ナイチンゲールの生涯」  セシル・ウーダム=スミス著  現代社 http://www.amazon.co.jp/%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AE%E7%94%9F%E6%B6%AF/dp/4874740227/ref=cm_cr-mr-title
・「ナイチンゲール 神話と真実 」 ヒュー・スモール著  みすず書房http://www.amazon.co.jp/%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%AB-%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%81%A8%E7%9C%9F%E5%AE%9F-%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC-%E3%82%B9%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%AB/dp/4622070367/ref=cm_cr-mr-title

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