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2006年10月09日00:30

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時コケ

タイトル通りだが、不親切なので、少し書く。

「時をかける少女」が新作アニメとしてこの夏公開され、ネットでは結構評判がよかった。予告編とか何回か見てそんなにピンと来てはいなかったものの、まあみんながいいというものは見てみたくなるので、今になってやっと見に行ってみた。ネタばれとかあるかもしれないので、みんなが何か書いていても、内容とかはなんにも知らないで行った。

面白かったが、期待したほどじゃなかった。9月後半近所のバウスシアターでもやっていたので、そこで見ていればまあ満足だったと思うが、今日は渋谷のQ-AXまで行ったので、まあ値段分は楽しめたかなと。『電車男』も2ちゃんねるのログ版を読んだときには「なんだこりゃ。つまらない」と思ったりしたので、そもそも精神に何かが欠落しているのかもしれない。

マイミクでは門さんの感想が一番近くて、つまりは絵が下手なのが作品としてどうなの、ということ。もうひとつSF的な考証がないということ。

私もテクニック的に稚拙な作品やストーリーの破綻した作品をいくつも面白いと持ち上げて来たし、音痴な歌や演奏が下手なCDをカッコいいとか書いたりしたことがあるが、それと同次元に語るならば、SF的な仕掛けの考証とか絵の稚拙さなんかはどうでもいいということになる。

この作品が好きな多くの人は話の登場人物に起こる出来事にワクワクし、特に登場人物の気持ちとやりとりに共感したり感動したりしたという話になろうが、そこがいまいちだった私としては、絵がどうとか、SF的な考証がどうとか、ある意味どうでもいいところを問題にするしかなくなる。

なんでいまいち感動できないのかは分からない。似たような体験がまったくないので共感のしようがないという話はひとつあるだろうが、別に同じような体験がなくても人間の想像力をもってすれば普通に想像で追体験できる、はずである。しかし、私はまあまあなるほどとは思ったけど、ドーンと来るということはなかった。なんかが欠落してるという話の方がなんとなくしっくりくる。

あとは表面的なことを簡単にいくつか。まず、人間の大きさが全般的に建物とかに対して小さすぎる。動いたときの遠近による大小の差もなんかへん。背景はどう見ても実写を基にしてある程度精密な感じなのだから、人間のバランスだけ違うというのは不自然。表情も背景に比較して全くマンガで顔が口だけになったりひらめみたいに片側に口全部が来たりするのは、まあアニメ的表現として許すしかないのだよね。決意の顔とか泣き顔とかは結構いいと思うのだが、崩れた顔とかはなんかオッサンとしては抵抗あるのだな。

つまり正直なところ、これ、ストーリーがいい話なんだからアニメじゃなくていいじゃない。こういうことを書く私はアニメ音痴ということになろうが、まさにそう。その自覚はある。

SF的な考証に関しては考えていたらなんかよく分からなくなってきた。ひとつ挙げれば、リープは自分だけが飛ぶはずなのに、なんでチアキがリープしたときはマコトも一緒に飛んでいるのか、というくらいかな。
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