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2024年05月09日15:05

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『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』感想

〜19世紀イタリアで、カトリック教会が権力の強化のために7歳になる少年エドガルド・モルターラを両親のもとから連れ去り、世界で論争を巻き起こした史実をもとに描いたドラマ〜
〜1858年、ボローニャのユダヤ人街に暮らすモルターラ家に、時の教皇ピウス9世の命を受けた兵士たちが押し入り、何者かにカトリックの洗礼を受けたとされるモルターラ家の7歳になる息子エドガルドを連れ去ってしまう。教会の法に則れば、洗礼を受けたエドガルドをキリスト教徒でない両親が育てることはできないからだ。息子を取り戻そうとする奮闘する両親は、世論や国際的なユダヤ人社会の支えも得るが、教会とローマ教皇は揺らぎつつある権力を強化するために、エドガルドの返還に決して応じようとはせず……〜<映画.comさんより>

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原題は『Rapito』でイタリア語で「誘拐された」「誘拐被害者」という意味みたいです。
ちなみに、スピルバーグ監督が、映画化に向けて書籍の原作権を押さえていたとか。

いや、もう、こういうことが実際起こっていたということが、信じられない。
とりあえず、エドガルドが痛い目(肉体的に)にあわされなかったことに、安堵。
いや、まさかとは思いつつも、ずっと心配で。

ローマの教会に連れて来られても、とりあえず、ユダヤ教の祈りをベッドの中で行うエドガルド。
同じ寝室の男の子は「言うことを聞けば早く帰れるよ。賢くなるんだ」とエドガルドに話す。
観客は願う。とりあえず、馴染んだフリをして、早くボローニャの家に帰ろうね。

エドガルドの父親は、ユダヤ人の組織に協力を仰ぐ。文書での抗議だ。
一方母親は「これは何の役に立つの?」と嘆く。

そうこうしているうちに、エドガルドは、どんどん’キリスト教に’馴染んでいってしまう。

中盤あたりに、印象的なシーンがあった。
エドガルドが夢を見ている。礼拝堂の十字架に掲げられているイエス・キリストの手足の杭をエドガルドが抜き取ると、イエスは自由の身になって(確か微笑みながら)歩き出すのだ。
このシーンで監督が言いたかったこととは?
個人的には「信仰の自由」だと最初思ったんだけど、もしかして全く逆の「エドガルドは実際にイエスに出会ったことで、もはや運命的にイエスの使徒となるべきだと察した」の方なのかしら?

やがて、両親はエドガルドと面会できるのだが・・・。

※予告編
https://youtu.be/Yw2tp624j08

私、宗教、詳しくないですが、信仰って、人を救う(救われる)ためにあるんじゃないの〜?
その時代のローマ教皇、一体、何なの?信仰って、自由でしょ?
しかも、エドガルドは知らないうちに洗礼されてたのよ〜。

Papaが本人を風刺するイラストを見ている時、絵が動き出すシーンは、悪くなかったけど、ちょっと違和感。
夢の中とかでもなかったし。
あと、心臓病で寝込んでいた子がいたけど、エピソード(出番)少なすぎるし、役割としてもっと何かあるかと思ったけど。

少年期エドガルドのエネア・サラくんは瞳がめっちゃ可愛い。
青年期エドガルドは『蟻の王』で矯正施設に入れられていたエットレ役のレオナルド・マルテーゼ。

エンディングが、あり得なくて、絶句。
「この時を待っていた」って、そっちかい。嘘だろう。怖すぎる。

マルコ・ベロッキオ監督、85歳だそうですが、体が震える力作でした。4つ☆
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