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2023年02月07日10:30

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同性婚の可否を巡る伝統的家族観

今日(2004.02.07)、テレビ朝日のモーニングショーを観ていました。
話題となっている発言をした荒井秘書官(発言当時)を問題視することから端を発して、
同性婚の可否が盛り上がっています。
その点について玉川徹記者が取材をしたそうで、
次のの趣旨ぼ発言がありました。

     「伝統的家族観とは家父長制のことです。」

そして、歴史学の専門家の口から出る、
家父長制は最近(江戸時代頃)のことで、
けっして日本の伝統的価値観ではないとの説明を放送しています。
(フィリピンからの容疑者移送問題で途切れ途切れでした。)

  相変わらず、テレビは不適切な報道を垂れ流していますね。



A……同性婚に反対する意見の伝統的家族観は、家父長制だ。
B……家父長制は、日本の伝統的家族観ではない。

Bは正しいのですが、Aは間違いです。
Aは、同性婚に賛成する論調を展開する人によるレッテル張に過ぎません。
ストローマン(藁人形論法)という詭弁です。

同性婚に反対する人達は、Aのような誤った前提を持って主張していると、
同性婚に賛成する人達に都合の良い偏見を拡めているのですね。
こうした詭弁に頼っている限り、
同性婚の賛成は胡散臭いと扱われるでしょう。


同性婚の可否を巡る伝統的家族観は次のXと考えるべきです。

  X:<両親は、母(女性)・父(男性)という異性の二者である。>

基本的にシンプルなイメージであって、
一定の思想(男尊女卑など)が加味されるものではありません。
なぜなら、一定の思想を神した途端、千差万別の家族観間で、
我家族観こそ、伝統的に正当とう争いになって、
大多数からの承認が困難になります。
同性婚が伝統的家族観に反していて、その破壊となるという論調が、
多くの人に、検討課題として認められるのはXのイメージがあるからです。

そのイメージと異なる同性の夫婦生活をする人が存在する。
その存在を否定して、社会から抹消しようとするのは、よくないかもしれません。
しかし、その存在を、社会制度として取り込むのかどうかは、
また、別の問題です。
Xのイメージに対する例外ではなく、
Xのイメージを過ちであると破壊する可能性は大いにあります。
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